1. 昭和・平成中期の飲み会文化
また、上司が若手社員、特に女性社員をデュエットに誘うこともしばしばでした。「銀座の恋の物語」や「ふたりの大阪」などのデュエット曲を半ば強制的に歌うことになった部下たちの姿も、ある意味で職場での一体感や結束を強めるきっかけとなっていたのかもしれません。
このような飲み会は、一晩で数回の店を巡ることが普通でした。居酒屋からスナック、そしてラーメン屋やバーへと続くのが一般的な流れで、終電を逃すことも珍しくありませんでした。その際、タクシーで帰宅するか、始発まで時間をつぶすというのが定番の対応でした。
飲み会では、「ウーロンハイ」が女性の間で人気で、まずは「とりあえずビール」で乾杯するのが通例でした。そして、翌日には飲み会の思い出話やそれにまつわる武勇伝が、職場で笑い話として語られていたのです。それが仲間同士の絆を深め、コミュニケーションを円滑にする重要な手段でもありました。
現代に入ってからは、ハラスメントへの認識や働き方の多様化が進んだため、これらの飲み会文化も大きく様変わりしています。それでも、昭和から平成にかけてのこうした飲み会文化は、多くの人々の記憶の中で今もなお色濃く残っています。
2. 酔った上司のカラオケ『あるある』
そして、その中でも特に印象深かったのが、酔った上司のカラオケの『あるある』エピソードです。
カラオケは、ただの娯楽としてだけでなく、上司への忠誠心を示す一種の儀式のような存在でした。
カラオケのマイクを譲らない上司の姿は、まさに「俺の十八番を聞け」という態度そのものでした。
上司はマイクを握りしめ、自分の十八番を熱唱し続けます。
部下としてはその光景を見守るだけでなく、時に一緒に歌ったりして過ごしました。
部下たちはこの時間を一種の耐え忍ぶ時間とひそかに感じつつも、上司との距離を縮める貴重な時間でもありました。
また、「デュエットしよう」と促され、半ば強制的にデュエットをさせられることもよくある光景でした。
特に女性社員は、上司のお気に入りの曲である『銀座の恋の物語』や『ふたりの大阪』を歌わされ、飲み会を盛り上げていました。
この無茶振りとも言える行動は、その場を活気づける一方で、部下にとっては少々困惑する瞬間でもありました。
さらに、上司が熱唱する最中、間奏に入るやいなや突然説教を始めるのも、あるあるの一つでした。
普段は語られないような仕事論や人生訓が熱く語られ、その場にいる全員は頷いて聞くのが暗黙の了承だったのです。
カラオケの採点機能について一喜一憂するのも印象深いエピソードです。
得点が高いと喜び、低いと機械の性能を疑い始める上司の姿もまた、忘れられない風景の一つです。
このように、昭和から平成の飲み会における上司のカラオケ『あるある』は、当時の企業文化を色濃く表していました。
当時の部下たちはこれらの記憶をある種の懐かしさとともに、思い出に刻み込んでいることでしょう。
こうした文化も時代とともに移り変わり、今ではなかなか見かけなくなりましたが、心の中で昭和から平成の飲み会文化は生き続けているのです。
3. 昭和から平成中期の飲み会の定番コース
この時代の飲み会は、多くの場合、居酒屋での一次会、スナックやカラオケでの二次会、そしてラーメン屋やバーでの締めといった様々なシーンを渡り歩く、複数回に分かれたセッションから成り立っていました。
これは多くの企業で共通の定番コースであったと言えます。
最初の居酒屋では、「とりあえずビール」が合図のように注文され、続いて、女性社員が「ウーロンハイ」を選ぶのが一般的でした。
居酒屋では定番の枝豆や焼き鳥などの一品料理が振る舞われ、懐かしい味を楽しむことができました。
二次会のカラオケやスナックでは、上司や同僚と交わすジョークや昔話が盛り上がりを見せました。
特にカラオケでは上司の十八番が披露されることが多く、曲が始まるとその場が一体となる時間が流れました。
締めはラーメン屋やバーで夜の余韻を楽しむのが常でした。
ラーメンの香りが、長い夜を無事に乗り越えた達成感をより一層引き立ててくれるのです。
また、この時代の飲み会は、朝まで続くことも少なくなく、終電を逃した社員が始発を待つ様子もよく見られました。
そのような経験自体が、翌日の笑い話になり、同じ体験を共有した者同士がより強く結ばれるきっかけにもなりました。
多くの人にとって、昭和から平成中期の飲み会の『あるある』体験は、未だに心に残る記憶です。
昔懐かしい、あの頃の飲み会文化を思い起こす時、私たちはそれを通じて自然な形で人間関係を深めていたのだと感じるのです。
4. 飲み会後の武勇伝と翌日の朝
まず、多くの飲み会が終電を逃すことで続くことが一般的でした。電車の終わる時間はいわばタイムリミットであり、このリミットをうまく逃れるのもある種の技術かもしれません。終電に乗れず、仕方なくタクシーを利用することもしばしばでした。これはお財布には痛手ですが、それもまた一つの経験として語られることになります。また、タクシーが使えない時には、始発までの時間をその場でつぶす方法を模索することもありました。漫画喫茶や24時間営業のファミレス、時には公園のベンチまでもが時間つぶしの場所となりました。
一部の人々にとっては“飲み疲れ”というものも重要な要素で、翌日の朝に顕著に現れます。飲み会の後遺症とも言える二日酔いですが、それも含めて仕事の一部のように受け止められていたのです。皆で「昨日はどれだけ飲んだ」や「あの上司があんなことを言っていた」といった情報を共有し、笑い合うことで、翌日もまた仕事を続ける活力としていました。
このように、飲み会後のエピソードは単なる個人の失敗談にとどまらず、コミュニケーションの一環としての役割を持っていました。そして、昭和から平成にかけてのこの時代の飲み会文化は次第に移り変わっていますが、当時の『あるある』は今もなお語り草として多くの人々に共有されています。
5. まとめ
その象徴的な出来事には、上司が参加した飲み会でのエピソードがあります。
酔った上司のカラオケに最後まで付き合うこと、この行為自体が上司への忠誠心や敬意を示す儀式のようなものでした。
上司の機嫌をとるのに一役買っていたカラオケのあるあるエピソードには、「俺の歌を聞け」とばかりにマイクを握りしめ、十八番を延々と歌い続ける場面がありました。
この時間は、若手社員にとっては忍耐力を試される試練の場でもあったのです。
また、上司が若手社員をデュエットに誘うこと、特に女性社員を指名することもよくある光景でした。
『銀座の恋の物語』や『ふたりの大阪』などを一緒に歌わされることは避けられないイベントでした。
さらに、間奏中に仕事や人生についての演説を始める上司も多く、その場は笑って受け流すのが暗黙の了解でした。
そして、カラオケの採点機能に対して一喜一憂する姿も、飲み会の盛り上がりを象徴していると言えるでしょう。
高得点が出れば上機嫌、低得点だと機械の故障すら疑うお茶目な姿。
一方で、飲み会自体も三次会、四次会と続くことが普通でした。
始めは居酒屋、その後にスナックやカラオケ、最後にはラーメン屋で締めたりするのが典型的な流れでした。
「ウーロンハイ」は女子社員の定番といわれ、飲み会での常連メニューでした。
そして朝まで飲み、終電を逃してしまいタクシーで帰るか、始発まで時間を潰すのも珍しいことではありませんでした。
一方で、現代では働き方の多様化やハラスメントに対する意識が高まり、こうした風景は変わりつつありますが、それでも昭和から平成にかけての飲み会の『あるある』エピソードは、多くの人々にとって懐かしい思い出として語られ続けているのです。
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