【昭和の給食あるある】他校の「お好み献立」がやってきた!献立表のミラクルに歓喜したあの日

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昭和あるある
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昭和の小学校の給食あるある~近隣の他校のお好み献立の日は大当たりだった。

昭和後期の小学校。毎月配られる「献立表」は、子どもたちにとって一ヶ月の運勢を占う聖書(バイブル)のような存在でした。カレー、揚げパン、ソフト麺……。人気メニューが並ぶ中、時折、私たちの目を釘付けにする「謎のラッキーデー」が存在したのを覚えているでしょうか。

それは、自校の行事や調理場の都合により、近隣の他校がリクエストしたメニューがスライドしてくる、いわゆる「他校のお好み献立(リクエスト給食)」の日です。昭和54年(1979年)から60年代、給食センターが複数の学校を掛け持ちしていた時代だからこそ起きた、あの「棚からボタ餅」ならぬ「他校から揚げパン」の熱狂。今回は、昭和世代の誰もが経験した、他校の好意(?)によってもたらされた伝説の給食メニューと、教室が一つになった歓喜の瞬間を振り返ります。


1. 昭和給食の「越境」:なぜ他校の献立が回ってきたのか

当時の給食運営において、複数の小中学校を一つの給食センターが一括して調理する「センター方式」は一般的でした。そこで稀に発生するのが、メニューの「相乗り」現象です。

献立表の隅に書かれた「他校リクエスト」の文字

自分の学校の開校記念日や運動会の代休など、イレギュラーな日程が重なった際、給食センター側が調理の効率化を図るために、近隣校が選んだ「お好み献立」をそのまま自校のメニューに採用することがありました。

  • 期待値の跳躍: 自分の学校の栄養士さんとはまた違う、隣の学校の子どもたちの「欲望」が反映されたメニュー。それは、いつものルーチンを打ち破る、外食のようなワクワク感をもたらしました。
  • 「隣の芝生」が本当に青かった日: 普段、隣の小学校の奴らが「昨日の給食、ハンバーグだったぜ」と自慢してくるのを羨ましく思っていた私たちにとって、そのメニューが公式に自分の机に並ぶ日は、まさに「越境した勝利」の瞬間でした。

2. 伝説の「お好み献立」ラインナップ:他校が選んだ最強の布陣

他校の子どもたちが必死の多数決で勝ち取った「お好み献立」は、どれも茶色くてハイカロリー、そして最高に美味しいものばかりでした。

揚げパンと冷凍みかんの「黄金コンビ」

他校がリクエストするメニューの王道といえば、やはり揚げパンです。

  • 砂糖の海に溺れる: 自分の学校の献立では滅多に出ない「ココア揚げパン」などが他校枠で回ってきた時の衝撃。口の周りを真っ黒にしながら、他校の見知らぬ同世代たちのセンスに、心の中で深く感謝の意を表したものです。
  • 季節外れの贅沢: 真冬に届く「冷凍みかん」。他校の奴らが「どうしても食べたい」と熱望した結果、自分たちの手元にもカチコチに凍ったオレンジ色の宝石が届く。その冷たさすら、特別なギフトのように感じられました。

「わかめごはん」と「鶏の唐揚げ」の鉄板

  • 塩気と旨味の暴力: 普段の白いご飯が「わかめごはん」にアップグレードされる。さらに、おかずが「鶏の唐揚げ」の特大サイズ。他校の食に対する執念が、センターの調理員さんたちを動かし、私たちの胃袋を満たす。その時、学区の壁は消え去り、私たちは「給食という名の共同体」であることを実感しました。

3. 教室に漂う「お祭り騒ぎ」と、給食当番の緊張感

他校のお好み献立の日は、朝から教室の空気が違いました。1時間目の休み時間から、話題は給食一色になります。

欠席者を「憐れむ」という文化

「今日休んだ〇〇、マジでもったいないな……」 普段の給食なら「ラッキー、おかずが余るぜ」と喜ぶ男子たちも、他校のお好み献立の日ばかりは、休んだ友達に対して本気で同情の言葉を投げかけました。それほどまでに、その一食には希少価値があったのです。

配膳バケツの中身を確認する瞬間

給食当番がコンテナを運んできた際、食缶の蓋を開ける瞬間は、さながら宝箱を開封する儀式でした。

  • 湯気と共に立ち上る「勝利の匂い」: ミートソースの香りが廊下まで漂う。当番が「おーっ、今日はマジで豪華だぞ!」と叫ぶ。その声に誘われて、席についていた全員が身を乗り出す。昭和の教室が、最も純粋な喜びで満たされる瞬間でした。

4. 昭和の「不平等」がもたらした奇跡の連帯感

今思えば、自分の学校の意思ではなく、他校の都合でメニューが決まるというのは、教育的には「不平等」だったのかもしれません。しかし、その「偶然性」こそが、昭和の生活に彩りを与えていました。

他校への「無言の友情」

私たちは、一度も会ったことのない隣町の小学生たちに対して、親近感を抱き始めます。 「あっちの学校のヤツら、わかってるじゃん」 「今度、俺たちの学校の番の時は、最強のカレーをリクエストしてやるからな」 見えないバトンを受け取るかのように、給食を通じて子どもたちのネットワークがつながっていた。それは、SNSもインターネットもない時代の、食を通じたアナログなSNS(ソーシャル・ネットワーク・給食)だったと言えるでしょう。

センター方式の「揺らぎ」が生んだ思い出

完璧に管理された今の給食システムでは、こうした「メニューの混ざり合い」は混乱の元として排除されるかもしれません。しかし、昭和のセンター方式が持っていた、ある種の「おおらかさ(適当さ)」が、子どもたちに思いがけない幸福を運んできたのです。


5. 現代の給食から消えゆく「サプライズ」の正体

今の学校給食は、栄養バランス、アレルギー管理、地産地消など、非常に高度な次元で設計されています。

徹底された「自校完結」

自校調理方式が増え、あるいはセンター方式でも各校の要望が細かく反映されるようになったことで、「他校のメニューが勝手に回ってくる」というハプニングは少なくなりました。

  • 失われた「外れ値」: いつも通りの、安心安全な給食。それは素晴らしいことですが、予期せぬラッキーに出会う「宝くじ」のような興奮は、学校生活から少しずつ影を潜めています。

規格化された喜び

現代の子どもたちにとって、給食は「提供されるサービス」としての側面が強くなっています。昭和の私たちが、他校の献立表を盗み見て一喜一憂し、回ってきた「お宝メニュー」に狂喜乱舞したあの野性的な喜びは、もしかすると、不自由な環境だったからこそ輝いていたのかもしれません。


6. まとめ:献立表という名の「希望のリスト」

昭和の小学校あるある。近隣の他校のお好み献立の日は、問答無用で「大当たり」だった。

あの時、私たちが口にした「他校のリクエストメニュー」。それは単に美味しいというだけでなく、自分たちの世界の外にある「誰かの願い」が叶ったお裾分けをいただくという、不思議な幸福感に満ちていました。

アルミの食器の中で光り輝く揚げパン。 他校の連中が選んでくれた、少しだけ豪華なハンバーグ。

大人になった今、私たちは自分の食べたいものを自分で選ぶことができます。しかし、あの頃、献立表の隅に見つけた「他校お好み」の4文字に胸を躍らせ、クラス全員で万歳三唱したあの瞬間ほどの高揚感を、最近味わっているでしょうか。

不便で、予測不能で、でもどこか優しかった昭和の給食。 あの銀色の食缶の中に詰まっていたのは、おかずだけでなく、誰かと誰かが繋がっているという、温かい「お裾分け」の精神だったのかもしれません。

昭和「他校お好み献立」あるある総仕上げ:

  • 献立表を貰った瞬間、赤ペンで「他校お好み」の日に丸をつけ、カレンダーにも書き込む。
  • 当日のメニューが期待外れ(他校がヘルシー志向だった場合)だと、「あっちの学校のヤツら、センスねーな」と勝手に毒づく。
  • 卒業後、その他校の出身者と出会った時、「あの時のお好み献立、わかめごはん選んだの、お前らか?」と、給食談義で一瞬で打ち解ける。

あなたがかつて、他校の好意で味わった「あのメニュー」。その味は、今でもあなたの舌の記憶のどこかに、甘酸っぱい「冷凍みかん」のように冷たく、そして鮮やかに残っているはずです。