昭和後期あるある~自分の声を録音した時の衝撃
ラジカセで自分の声を録音して再生した時、「えっ、私ってこんな声なの!?」と絶望する。
昭和後期の家庭において、リビングや子供部屋の主役といえば「ラジカセ(ラジオカセットレコーダー)」でした。
お気に入りの曲をラジオから録音したり、テレビの前に置いてスピーカー越しにアニメの主題歌を録音したり。そんな日常の中で、ある日ふと思い立ってやってしまうのが「自分の声の録音」です。
しかし、再生ボタンを押した瞬間に流れてくるその声に、私たちは凍りつきました。「えっ、私ってこんな変な声なの!?」「これ、機械が壊れてるんじゃないの?」……。
今回は、昭和世代なら誰もが一度は経験したであろう「自らの声への絶望」という通過儀礼と、なぜあんなにも違和感があったのかという科学的な真相を紐解きます。
1. 昭和の娯楽「ラジカセ」と録音ボタンの誘惑
1980年代、ラジカセは単なる再生機ではなく、自分の声を残せる唯一の「魔法の箱」でした。
録音ボタン(赤い丸)の特別感
当時のラジカセには、再生(PLAY)ボタンの隣に、ひときわ目を引く「赤い丸」が描かれた録音(REC)ボタンがありました。再生と録音を同時にガチャリと押し込む、あの独特の手応え。テープが回り始め、内蔵マイクの周りで息を潜める瞬間の緊張感は、昭和の子供たちにとって特別なものでした。
何を録音していたのか
- カセットドラマごっこ: 友達や兄弟と配役を決めて、即興の劇を演じる。
- 偽のラジオ番組: 「こんばんは、DJの〇〇です」と、憧れのラジオパーソナリティの真似事。
- 家族の団らん: 誕生会や正月の集まりで、意味もなくマイクを向ける。
しかし、その「楽しかった録音タイム」の後に、冷酷な現実が待ち受けていたのです。
2. 「これ、誰の声?」再生ボタンを押した瞬間の絶望
録音が終わり、テープを巻き戻し(リワインド)して再生ボタンを押す。スピーカーから流れてくる声を聞いた瞬間、その場にいた全員が微妙な空気になるのが「昭和の録音あるある」でした。
想像以上に高い、あるいは鼻にかかった声
自分の頭の中で響いている声は、もっと深みがあって、落ち着いた「いい声」のはずでした。しかし、ラジカセから流れてくるのは、妙に高くて、薄っぺらで、どこか間抜けな響きの声。「こんな声で自分は今まで喋っていたのか」という事実は、当時の子供たちにとってアイデンティティを揺るがすほどの衝撃でした。
「機械が悪い」と自分に言い聞かせる
あまりのショックに、「このラジカセの性能が悪いんだ」「マイクが安物だから変な音になってるんだ」と、機械のせいにして現実逃避するのも定番のパターンでした。しかし、隣にいる友達の声はラジカセを通しても「いつもの友達の声」に聞こえる。その残酷な事実が、さらに自分を追い込むのです。
3. なぜ自分の声は違って聞こえるのか?科学的な理由
大人になってから知る事実ですが、この違和感にはしっかりとした生物学的な理由がありました。
「気導音」と「骨導音」の違い
私たちが普段、他人の声や環境音を聞くときは、空気を伝わってきた音を耳(外耳道)から取り込んでいます。これを「気導音」と言います。
一方、自分が喋っている時に聞いている「自分の声」は、喉の震えが直接頭蓋骨を伝わって内耳に届く「骨導音」が混ざっています。骨を伝わる際、音は低周波が強調され、深みのある響きに変化します。
- 自分が聞いている声: 気導音 + 骨導音(深みがある)
- 他人が聞いている声(録音された声): 気導音のみ(高くて軽い)
つまり、ラジカセから流れてきた「変な声」こそが、周囲の人々が日常的に聞いていた「本物のあなたの声」だったのです。昭和の子供たちは、ラジカセという文明の利器によって、生まれて初めて「客観的な自分」を突きつけられたのでした。
4. テープに残された「痛々しくも愛おしい」記憶
それでも、私たちは録音をやめませんでした。絶望しながらも、何度も自分の声を録り直し、少しでも「理想の声」に近づけようと発声を変えてみたりしました。
上書きされる「恥ずかしさ」
カセットテープは高価だったため、恥ずかしい録音はすぐに別の曲や番組で上書き(消去)されました。しかし、稀に消し忘れたテープが10年、20年後に実家の押し入れから発見されることがあります。
そこに残っているのは、精一杯背伸びをして喋る幼い自分の声。当時の自分にとっては絶望の対象でしたが、今聞けば、それは二度と戻れない時間の中にいた自分自身からの、最高に愛おしいメッセージでもあります。
5. 現代の「ボイスメモ」にはない、カセット録音の重み
現在はスマホ一台で、当時とは比較にならない高音質で声を録音し、SNSで世界中に発信できる時代です。自分の声を聴く機会は増え、あの頃のような「初めての絶望」を味わう子供は少なくなっているかもしれません。
しかし、ガチャリというボタンの重み、テープが擦れる「サー」というヒスノイズ、そして何より「限られた時間(分数)」の中で何を喋るか真剣に考えたあの感覚。それは、アナログ時代のラジカセ録音でしか味わえなかった「自分との対話」でした。
6. まとめ:絶望の先に見つけた「自分という個性」
昭和後期、ラジカセのスピーカーから流れる自分の声にショックを受けたあの瞬間。それは、私たちが「主観の世界」から「客観の世界」へと一歩踏み出した、精神的な成長の瞬間でもありました。
自分の声を嫌いになり、でもどこか気になって何度も再生してしまう。 あの独特のもどかしさは、昭和という時代がくれた「自分を知るためのギフト」だったのかもしれません。
もし、あなたの家のどこかに当時のカセットテープが眠っているなら、勇気を出して再生してみてください。そこには、変な声で一生懸命に笑い、喋り、未来を夢見ていた、幼い日のあなたが確かに存在しているはずです。
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