プルタブをつなげてチェーンにした昭和の遊び──缶ジュースのあの銀色の輪っかが宝物だった記憶

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昭和あるある
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はじめに──あの銀色のチェーンを覚えていらっしゃいますか?

昭和後期あるある〜プルタブをつなげてチェーンにする

缶ジュースから完全に切り離されるタイプのプルタブを集め、切り込みを入れて長くつなげて鎖のようにして遊んでいました。

缶ジュースを開けるたびに手元に残るプルタブ。昭和40〜60年代にお育ちの方なら、そのプルタブを捨てずにせっせと集め、切り込みをつなげて長い鎖状にして遊んだ記憶をお持ちの方が多いのではないでしょうか。

銀色のアルミ製プルタブがどんどんつながっていき、ある程度の長さになってくると、それを腕に巻いてみたり、友達に見せて自慢したり。「何本分つながってる?」と数えることに夢中になっていた昭和の夏が、懐かしく思い出される方もいらっしゃることと思います。

現代の缶はプルタブが缶本体から切り離されない「ステイオンタブ」が主流ですが、昭和の缶飲料はプルタブが完全に切り離されるタイプが一般的でした。そのプルタブが「遊びの素材」として子どもたちの手に渡り、独自の工作文化を生み出していたのです。

本記事では、昭和のプルタブチェーン文化を詳しく振り返り、あの遊びがなぜ子どもたちの間に広まったのか、またプルタブの形状がなぜ変化したのかについてもご紹介いたします。


第1章 昭和のプルタブはどんな形だったのか

缶から完全に切り離されるタイプのプルタブ

現在の缶飲料の多くは「ステイオンタブ」と呼ばれる方式を採用しています。開口部を押し込む部分と引っ張るためのタブが一体になっており、缶を開けてもタブが缶本体に留まったまま切り離されない設計です。

一方、昭和の缶飲料で広く使われていたのは、タブを引っ張ると缶のふたの一部ごと完全に切り離されるタイプのプルタブでした。缶を開けるとプルタブが手元に残り、そのまま捨てるかポケットにしまうかという状況が生まれていました。

このタイプのプルタブは英語でも「pull tab」または「ring pull」と呼ばれ、日本では1960年代後半から1970年代にかけて缶飲料の普及とともに広まっていきました。アルミ製の薄い金属でできており、引き輪の部分と、缶の開口部を形成する舌状の部分が一体になった独特の形状をしていました。

プルタブの形状とチェーンを作れる理由

昭和のプルタブがチェーン作りに適していた理由は、その独特の形状にあります。プルタブには指を引っかけるための「輪(リング)」の部分と、缶に接続されていた「舌(タング)」の部分があり、全体として細長い楕円形に近い形をしていました。

この形状のプルタブに切り込みを入れることで、別のプルタブと連結できる構造が生まれます。具体的には、プルタブの金属部分に爪などで切れ目を入れ、そこに別のプルタブを通して再び折り合わせることで、鎖のように次々とつなげていくことができました。

切り込みを入れる加工は大人の道具なしに子どもの指先や爪だけでもある程度できましたが、はさみや小さなカッターを使うとよりきれいにつなげることができました。


第2章 プルタブチェーンの作り方と遊び方

集めることから始まる楽しさ

プルタブチェーンを作る第一歩は、プルタブを集めることでした。自分が飲んだ缶飲料のプルタブはもちろんのこと、家族が飲んだもの、公園のゴミ箱の周辺に落ちていたものなど、子どもたちはさまざまな場所からプルタブを集めていました。

友達の間でプルタブを分け合ったり、「プルタブを持ってきたら〇〇と交換する」という物々交換が行われたりと、プルタブ集め自体がひとつのコミュニケーションになっていました。缶ジュースを飲む機会が増える夏休みは、プルタブの収集が特に盛んになった季節でした。

チェーンの連結と長さの競争

プルタブをつなげていく作業は、単純ながら没頭できる工作でした。一つひとつ丁寧に切り込みを入れて連結していくと、少しずつ長くなっていくチェーン。その長さが増すごとに達成感が高まっていきました。

子どもたちの間では、チェーンの長さを競い合う文化が自然に生まれていました。「俺のは50個つながってる」「私のはもっと長い」という会話が交わされ、より長いチェーンを作ることが一種のステータスになっていたご記憶をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

腕や足に巻きつけてアクセサリーのように見立てる、教室の壁に飾る、縄跳びのように使ってみるなど、完成したチェーンの使い方もさまざまでした。

チェーン作りに必要な「技術」

プルタブに切り込みを入れてきれいにつなげるには、ある程度の慣れと技術が必要でした。切り込みの位置が適切でないとプルタブがうまくつながらなかったり、力を入れすぎてプルタブが変形してしまったりすることもありました。

上手にチェーンを作れる子どもは友達から教えを乞われ、一種の「先生役」になることもありました。こうした技術の伝達もまた、プルタブチェーン遊びが生んだコミュニケーションのひとつでした。


第3章 プルタブが引き起こした社会問題と環境意識の変化

路上や砂浜に散乱したプルタブ問題

昭和の切り離し式プルタブは、その便利さの一方で深刻な問題も引き起こしていました。缶を開けた後に手元に残るプルタブを、その場で地面に捨ててしまう人が多く、公園・海水浴場・道路など至るところにプルタブが散乱するようになりました。

アルミ製のプルタブは踏んで怪我をする危険性があり、特に砂浜や公園での素足の怪我が社会問題として取り上げられるようになりました。また、海や川に捨てられたプルタブが自然環境に悪影響を及ぼすことも懸念されるようになっていきました。

プルタブ回収運動と子どもたちの参加

プルタブの散乱問題が広まるにつれ、各地でプルタブを回収して再資源化しようという運動が広まりました。学校や地域の子ども会・PTAなどが中心となり、プルタブを集めて車椅子などと交換するリサイクル活動が行われるようになりました。

子どもたちが積極的にプルタブを拾い集め、学校に持ち寄るという活動は、環境意識と社会貢献の意識を育てる取り組みとして各地で実施されました。遊びのためにプルタブを集めていた文化が、社会的な意義を持つ活動へとつながっていったのです。

なお、プルタブを集めて車椅子と交換する活動については、必要なプルタブの個数が非常に多いこともあり、活動の実態や費用対効果についてはさまざまな見方もございました。

ステイオンタブへの移行

プルタブの散乱・怪我問題への対策として、缶飲料メーカーは缶を開けてもタブが缶本体から切り離されない「ステイオンタブ」方式の導入を進めていきました。日本では1980年代以降、徐々にステイオンタブへの切り替えが進み、現在では缶飲料のほぼすべてがこの方式を採用しています。

ステイオンタブの普及により、プルタブが地面に散乱する問題は大幅に改善されました。しかしその結果として、子どもたちがプルタブを集めてチェーンにするという遊び文化も、自然に姿を消していくことになりました。


第4章 プルタブチェーンが体現していた昭和の「工作文化」

身の回りのものを素材にする発想

プルタブチェーンが昭和の子どもたちの間で広まった背景には、当時の「工作文化」があったと言えます。昭和の子どもたちは、身の回りにある廃材や不用品を素材として遊びを作り出すことに長けていました。

牛乳パックで作る工作、輪ゴムを束ねたボール、ペットボトルを使った水遊び道具──そうした「あるものを使って作る」遊びの延長線上に、プルタブチェーンはありました。お金をかけなくても、手と発想次第で遊び道具が作れるという精神は、昭和の子ども文化を特徴づけるものでした。

「作る喜び」と「見せる喜び」

プルタブチェーンを作る喜びは二段階に分かれていました。ひとつは「作る過程の喜び」、もうひとつは「完成したものを見せる喜び」です。

一つひとつ丁寧につなげていく作業の中に、手作業の達成感がありました。そして完成したチェーンを友達や家族に見せると「すごいね」「何個つながってるの?」という反応が返ってくる。その承認の瞬間も、作ることの動機を支えていました。

現代の子どもたちがゲームの実績やSNSの「いいね」に喜びを感じるのと同じように、昭和の子どもたちはプルタブチェーンの長さやクオリティに承認を求めていたとも言えるでしょう。

「捨てる前に使う」というものの見方

プルタブチェーンの文化には、捨てるはずのものに価値を見出すという視点が含まれていました。缶を開けた後のプルタブは本来なら不要なものです。しかしそれを素材として再利用し、遊び道具に変えてしまう発想は、現代で言うところのアップサイクルの精神に通じるものがあります。

物が豊富ではなかった時代の感覚として、「まだ使えるかもしれない」「何かに使えないか」と考える習慣が子どもたちにも自然に備わっていたのかもしれません。プルタブチェーン作りは、そうした昭和の物への向き合い方を体現した遊びのひとつでした。


第5章 現代から見た昭和のプルタブ文化

デジタルにはない「手を動かす遊び」の価値

スマートフォンやゲーム機が子どもたちの遊びの中心を占める現代から振り返ると、プルタブチェーン作りのような「手を動かして何かを作り上げる遊び」は、独自の価値を持っていたと感じられます。

細かい作業を繰り返す中で育まれる集中力、試行錯誤しながら技術を改善していく経験、完成した喜びを他者と共有するコミュニケーション──これらはデジタルゲームとは異なる種類の体験として、子どもたちの成長に影響を与えていたと言えるでしょう。

昭和レトロとして語り継がれる遊び

近年の昭和レトロブームの中で、プルタブチェーン作りは「昭和の子どもたちがやっていた懐かしい遊び」のひとつとして取り上げられることがあります。当時を知る世代がSNSや動画サービスで「こんな遊びをしていた」と発信し、知らない世代が「こんな遊びがあったのか」と新鮮に受け取るというやり取りが生まれています。

切り離し式プルタブ自体がすでに過去のものとなった現在、あのプルタブを集めてチェーンにする遊びは完全に「昭和の文化」として記録されるものになりました。

環境問題の解決と失われた遊び文化

ステイオンタブへの移行は、プルタブ散乱という環境・安全問題を解決するための合理的な選択でした。現代の缶飲料がほぼすべてステイオンタブを採用していることは、環境への配慮という観点から見れば望ましい変化です。

しかし同時に、その変化がひとつの遊び文化を消滅させたことも事実です。問題を解決することで生まれる「失われるもの」があるという現実は、技術や社会の変化が必ずしも一方向にプラスではないことを示しているのかもしれません。


まとめ──銀色のチェーンに詰まっていた昭和の子ども時代

缶飲料を開けるたびに生まれるプルタブを集め、一つひとつ丁寧につなげていく。シンプルでお金もかからない、しかし夢中になれる遊びが、昭和の子どもたちの手の中にありました。

長くなっていくチェーンへの達成感、友達との競い合い、腕に巻いて自慢した銀色の鎖──それらはすべて、何もないところから価値を作り出す子どもたちの豊かな創造性の表れでした。

切り離し式プルタブが姿を消し、あの遊びができる環境は今の時代にはありません。しかしプルタブチェーンを作った記憶は、缶ジュースの冷たさと夏の日差しと一緒に、昭和を生きた方々の心の中に今でも輝き続けていることと思います。


本記事は昭和のプルタブ文化・子どもの遊びに関する歴史的・文化的記録を目的としています。記載の情報は執筆時点での調査に基づくものです。


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