はじめに──朝のテレビ欄チェックを覚えていらっしゃいますか?
昭和後期あるある~新聞のテレビ欄を「赤ペンで囲む」
見逃さないように、朝のうちに新聞のテレビ欄をチェックし、見たい番組を赤ペンでぐるぐると囲んで予約完了とする。
朝食を食べながら、あるいは食べ終わった後、新聞の最終ページを開く。家族の誰かが赤ペンを片手に、今日見たい番組のタイトルをぐるぐると囲んでいく。「これは絶対見る」「これも気になる」と印をつけていくその作業が終われば、もう安心──。
昭和後期に育った方なら、この「新聞のテレビ欄を赤ペンで囲む」という朝の習慣を、鮮明に覚えていらっしゃるのではないでしょうか。インターネットも電子番組表もなかった時代、新聞の最終ページに掲載された小さな文字の番組表が、その日一日のテレビ視聴計画を立てるための唯一にして最大の情報源でした。
赤ペンでぐるりと囲んだ瞬間、それはまるで「予約完了」の儀式のようなものでした。本記事では、昭和の新聞テレビ欄文化と、あの赤ペンでの「囲み」がどのような意味を持っていたのかを詳しく振り返ってまいります。
第1章 新聞の「テレビ欄」とはどんなものだったのか
1953年、読売新聞に初めて掲載されたテレビ欄
新聞にテレビ欄が掲載された最初の事例は、1953年(昭和28年)2月1日、読売新聞によるものでした。この日はNHK東京テレビジョンがテレビ放送を開始した日でもあり、当初はスポーツ欄の片隅に小さく番組表が組み込まれる形でした。ラジオが上に大きく掲載され、テレビ欄はその下に小さく記載される程度だったといいます。
その後、テレビ放送が本格的に普及し各地に放送局が次々と開局していくと、テレビをメインにしてラジオを小さく扱う傾向が強まっていきました。
「ラテ欄」という呼び方の定着
新聞のテレビ・ラジオ番組表は、業界では「ラテ欄(ラジオ・テレビ欄)」と呼ばれてきました。これはかつての呼び方である「ラジオ・テレビ欄」を短縮した呼称です。
1966年(昭和41年)、赤旗が紙面の最終ページにラテ欄を掲載して読者の利便性を図ったところ、他の一般紙各紙もこれに追随しました。以降、新聞の最終ページにテレビ・ラジオ番組表を掲載するという形式が、日本の一般紙における標準的な形態として定着していきました。
「新聞の最後のページを開けばテレビ欄がある」というこの構成は、昭和後期から平成にかけて、多くの日本人にとって当たり前の習慣となっていったのです。
一覧性の高い紙面ならではの利便性
新聞のテレビ欄が長年支持され続けた理由のひとつに、その一覧性の高さがありました。見開きの紙面いっぱいに、その日一日のすべてのチャンネル・すべての時間帯の番組が、時系列・チャンネル別に整然と並んでいます。
朝から晩まで、各局の番組タイトルをざっと見渡すだけで、その日の放送内容の全体像を把握できる。この情報量の多さと一覧性の高さは、テレビ番組情報誌やテレビ画面上の番組表にはない、新聞紙面ならではの強みでした。
第2章 「赤ペンで囲む」という朝の儀式
家族それぞれが行っていた朝のルーティン
新聞のテレビ欄をチェックして見たい番組を赤ペンで囲むという行為は、多くの昭和の家庭における朝の日課のひとつでした。
朝食の支度をしながら、あるいは出勤・登校前の慌ただしい時間の合間に、家族の誰かが新聞の最終ページを広げます。その日の夜に放送される番組、週末の特番、楽しみにしていたドラマの放送時間──気になる番組のタイトルを見つけては、赤ペンでぐるりと丸く囲んでいく。この一連の動作が、昭和の朝の風景の一部として定着していました。
「囲む」という行為が持っていた意味
なぜ「丸で囲む」だったのでしょうか。それは、小さな文字がびっしりと並ぶテレビ欄の中で、自分が見たい番組をひと目で識別できるようにするための、最もシンプルで効果的な方法だったからです。
線を引く、印をつける、星マークをつけるなど他の方法もあり得ましたが、番組タイトル全体を囲んでしまう「丸囲み」は、後から見返したときに最も視認性が高い方法でした。家族で新聞を共有する家庭では、誰かが囲んだ番組が一目でわかることで、「今日はこれが見たいんだな」という意思表示にもなっていました。
「予約完了」という気持ちの正体
「赤ペンで囲めば予約完了」という感覚は、現代の録画予約とは全く異なる性質のものでした。実際には何も録画されているわけではなく、ただ紙に印をつけただけです。しかしその行為には、「これを見る」という自分自身への意思確認、そして家族への意思表示という、確かな機能がありました。
朝のうちに赤ペンで囲んでおけば、忙しい一日の中で「あ、今日見たい番組があったはず」と思い出すきっかけになります。新聞を開けば赤い丸が目に入り、「そうだ、これを見ようと思っていたんだった」と気づく。テレビ欄の赤い丸は、紙の上に残された未来の自分へのメモであり、リマインダーだったのです。
第3章 新聞のテレビ欄が果たしていた役割
「見たい番組を見逃さない」ための情報源
インターネットもスマートフォンもなかった昭和の時代、テレビ番組の情報を事前に知る手段は限られていました。新聞のテレビ欄のほかには、テレビ情報誌や、当日のテレビ画面に表示される番組案内くらいしかありませんでした。
その中でも新聞のテレビ欄は、毎日無料で家庭に届けられ、一覧性が高く、すべてのチャンネルの情報を一度に確認できるという点で、最も手軽で実用的な情報源でした。「今日は何が放送されるのか」を知るために、新聞のテレビ欄を読むことは、昭和の家庭の日常的な習慣だったのです。
番組表から「その日の生活」を組み立てる
新聞のテレビ欄をチェックすることは、単に番組を知るだけでなく、その日の生活リズムを組み立てる作業でもありました。「この時間にこの番組があるから、夕食はそれまでに済ませよう」「この番組は子どもと一緒に見よう」といった具合に、テレビ欄の情報をもとに一日の予定が立てられていました。
赤ペンで囲んだ番組の放送時間に合わせて、お風呂や食事のタイミングを調整する。家族の生活リズムの中に、テレビ番組という外部の時間軸が組み込まれていたのが、昭和のテレビ視聴文化の特徴でした。
家族のコミュニケーションのきっかけに
新聞のテレビ欄は、家族間のコミュニケーションを生み出す道具でもありました。「今日のこの番組見る?」「これ面白そうじゃない?」といった会話が、テレビ欄を囲みながら自然に交わされていました。
誰かが赤ペンで囲んだ番組を見て、別の家族が「私もこれ見たい」と加わったり、逆に「この時間は別の用事があるから見られない」と調整したりする。新聞のテレビ欄は、家族それぞれの希望をすり合わせるためのささやかなプラットフォームとしても機能していたのです。
第4章 テレビ欄文化を支えた周辺の出来事
テレビ情報誌の登場
1962年(昭和37年)には、東京ニュース通信社から『週刊TVガイド』が創刊されました。新聞のテレビ欄に加えて、より詳しい番組情報を提供する専門誌が登場したことで、テレビ番組情報を得る手段はさらに充実していきました。
それでも、新聞のテレビ欄が廃れることはありませんでした。毎日無料で手元に届き、その日のうちに確認できるという手軽さは、週刊の専門誌にはない強みだったのです。
テレビ欄の隅にあった広告の記憶
昭和の新聞テレビ欄には、番組情報だけでなく、周囲に小さな広告が掲載されていることもよくありました。胃腸薬や育毛剤などの広告が、テレビ欄の隅に小さく載っているのを目にした記憶をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。こうした細部も含めて、昭和の新聞テレビ欄は独特の紙面文化を形成していました。
多局化・多チャンネル化への対応
テレビ放送局の数が増えるにつれて、新聞のテレビ欄に掲載される情報量も増加していきました。在京キー局だけでなく、地方局やNHK、後にはBS放送なども加わり、限られた紙面によりたくさんの情報を詰め込む工夫が重ねられていきました。
文字が小さくなり、情報が密になっていく中でも、赤ペンで丸く囲むという行為そのものは変わらず続けられていました。むしろ情報量が増えれば増えるほど、見たい番組を一目でわかるようにする「囲み」の重要性は高まっていったとも言えます。
第5章 赤ペンの習慣が薄れていった理由とその後
ビデオ・タイマー録画の普及
新聞のテレビ欄を見て番組を「知る」ことと、実際にその番組を「録画する」ことは、本来別の行為でした。しかし家庭用ビデオデッキが普及すると、新聞のテレビ欄で見つけた番組をそのままタイマー録画するという流れが一般化していきます。
新聞のテレビ欄で番組を見つけ、赤ペンで丸く囲み、その情報をもとにビデオデッキの予約設定を行う──この一連の流れが、昭和後期から平成にかけての標準的なテレビ視聴準備のスタイルとなっていきました。
インターネット・電子番組表の登場
平成以降、インターネットやテレビ画面上に表示される電子番組表(EPG)が普及すると、紙の新聞でテレビ欄を確認するという習慣は徐々に薄れていきました。テレビのリモコン操作だけで番組表を呼び出し、見たい番組を選んで録画予約できる環境が整ったことで、赤ペンで紙に印をつける作業の必要性は薄れていったのです。
現代ではスマートフォンのアプリで番組表を確認し、外出先からでも録画予約ができる時代になりました。新聞のテレビ欄を毎朝チェックするという昭和の習慣は、多くの家庭で過去のものとなっています。
それでも残る紙の魅力
新聞は現在も発行が続いており、テレビ欄も依然として紙面に掲載され続けています。デジタル化が進んだ現代でも、紙のテレビ欄を一覧して赤ペンで囲むスタイルを今も続けているという方もいらっしゃることでしょう。
一覧性の高さ、目で見て一気に把握できる感覚、紙に印をつけるという行為そのものの満足感──これらはデジタルの番組表には代えがたい魅力として、今でも一定数の方に支持され続けています。
まとめ──赤い丸に込められていた昭和の「見たい」気持ち
朝の慌ただしい時間に、新聞の最終ページを開いて見たい番組を赤ペンで丸く囲む。それは単なる印付けではなく、「これを見る」という自分への約束であり、家族への意思表示であり、その日一日の生活リズムを組み立てるための小さな儀式でした。
1953年に読売新聞で初めて掲載されたテレビ欄から始まり、1966年の最終ページ掲載の定着を経て、新聞のテレビ欄は長きにわたって日本の家庭の情報源として機能してきました。インターネットも電子番組表もない時代、その小さな文字の番組表と赤ペンの丸は、「見逃したくない」という気持ちを形にする確かな方法だったのです。
新聞を広げ、赤ペンを握り、お気に入りの番組を見つけてぐるりと囲む──あの朝の習慣は、昭和という時代のテレビ視聴文化を象徴する、温かく懐かしい記憶として、多くの方の心の中に残り続けているのではないでしょうか。
本記事は昭和の新聞・テレビ視聴文化に関する歴史的・文化的記録を目的としています。記載の情報は執筆時点での各種資料に基づくものです。
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