昭和後期の小学校あるある~黒板消し同士をパンパン叩く (黒板消しクリーナーがない学校限定)
日直の仕事で、窓の外から身を乗り出して、チョークの粉を落とすために黒板消しを2つ合わせてパンパンと叩く。風向きを間違えると自分が真っ白になります。
日直の仕事が回ってくると、教室の窓から身を乗り出して黒板消し同士を「パンパン」と叩き合わせる。チョークの粉が舞い上がり、風向きを間違えれば自分の服も顔も真っ白になる。昭和後期の小学校に通っていた世代なら、誰もが一度は経験したこの光景を覚えているのではないでしょうか。今では黒板消しクリーナーという機械が普及し、パンパンと叩く作業自体を知らない子どもたちも増えています。この記事では、当時の日直の仕事内容や、黒板消しを叩く作業がなぜあれほど日常に根付いていたのか、そして今との違いについて振り返っていきます。
1、日直の仕事に組み込まれていた黒板消し掃除
昭和後期の小学校では、日直や当番の子どもが交代で教室の掃除や雑用を担当する仕組みが一般的でした。その中でも黒板消しの掃除は、授業の合間や放課後に必ずといっていいほど行われる作業のひとつです。黒板に書かれたチョークの文字を消すたびに、黒板消しにはどんどん白い粉がたまっていきます。そのまま使い続けると黒板消し自体が真っ白になり、次に消すときにきれいに消えなくなってしまうため、定期的に粉を落とす必要があったのです。
多くの学校では、教室の窓の外に向かって黒板消し同士を叩き合わせ、粉を外に飛ばすという方法が採用されていました。今のように黒板消しクリーナーという専用の機械が設置されている学校は少なく、手作業で粉を落とすのが当たり前だったのです。日直に回ってきた子どもは、休み時間や掃除の時間にこの作業をこなすのが日課となっていました。
日直の仕事は黒板消し掃除だけではありません。朝の会や帰りの会の司会進行、号令をかける役目、健康観察の記入など、ひとりで複数の役割を任されるのが一般的でした。その中でも黒板消しの掃除は、体を動かす実作業として印象に残りやすく、大人になってから振り返ったときにも真っ先に思い出す子どもが多かったようです。教室によっては日直がふたり一組になっており、片方が黒板を消し、もう片方が黒板消しの粉を落とす役割分担をしていたケースも見られました。
2、窓から身を乗り出してパンパンと叩く独特の動作
黒板消しを叩く作業には、ちょっとしたコツと勇気が必要でした。教室の窓を大きく開け、外に向かって身を乗り出しながら、両手に持った黒板消しの面と面を勢いよく合わせて叩きます。パンパンという乾いた音とともに、白い粉が煙のように舞い上がる光景は、当時の教室ではごく当たり前の風物詩でした。
このとき注意しなければならないのが風向きです。風が教室側に吹いていると、飛ばしたはずの粉がそのまま自分の顔や制服にかかってしまいます。特に強風の日は要注意で、うっかり油断すると髪の毛から靴下まで真っ白になってしまうこともありました。逆に風が味方してくれる日は、遠くまで粉が飛んでいく様子を見て、ちょっとした達成感を味わえたという声も多く聞かれます。
一階の教室ならまだしも、二階や三階の教室だと、下を歩く人に粉がかからないよう気をつける必要もありました。今考えると、粉塵が舞う中で作業をしていたわけですから、健康面ではあまり褒められたものではなかったかもしれません。それでも、当時はそれが日直の仕事として当たり前に行われていました。
叩くタイミングにもちょっとしたルールがありました。授業中に窓を開けて叩くと粉が教室内に舞い込んで先生に注意されるため、多くの場合は休み時間や放課後を狙って作業するのが暗黙の了解でした。また、体育の授業で校庭に人が並んでいるタイミングで不用意に粉を落とすと、下にいる同級生から抗議の声が飛んでくることもあり、日直はそれなりに周囲への配慮を求められる立場でもあったのです。パンパンという音がリズムよく響くと、それだけで教室の外まで日直の仕事ぶりが伝わっていたともいえるでしょう。
3、なぜ黒板消しクリーナーがなかったのか
現在の学校では、黒板消しクリーナーという機械が教室に設置されていることが珍しくありません。黒板消しを機械の吸引口に押し当てるだけで、粉がきれいに吸い取られる仕組みです。窓から身を乗り出す必要もなく、粉が舞い散ることもないため、非常に効率的で安全な方法といえます。
しかし昭和後期の時点では、こうした機械はまだ多くの学校に普及していませんでした。理由としては、設備投資にかかる予算の問題や、そもそも黒板消しを手作業で叩くという方法が長年の慣習として定着していたことが挙げられます。学校現場では新しい設備を導入するよりも、これまでのやり方を踏襲する傾向が強かった時代背景もあったのでしょう。
黒板消しクリーナーが普及し始めたのは平成に入ってからで、地域や学校によって導入時期にはかなりの差があったといわれています。手作業での粉落としから機械化への移行は、教育現場における地味ながらも確かな変化のひとつだったといえます。
機械化が進んだ背景には、教育現場での衛生管理や安全性への意識の高まりもあったと考えられます。窓から身を乗り出す動作は、転落の危険と隣り合わせでもありました。安全面への配慮が広がるにつれ、危険を伴う手作業は少しずつ見直され、機械による作業に置き換えられていったのです。こうした流れは、黒板消しの掃除方法に限らず、学校生活全体における安全対策の強化とも重なる部分があります。
4、チョークの粉と過ごした昭和の教室風景
チョークの粉は黒板消しだけでなく、教室のあちこちに存在していました。黒板の下の溝には粉がたまり、掃除の時間には粉受けを外して中身を捨てる作業もセットになっていたことを覚えている方も多いはずです。また、チョーク自体も今のものより粉が出やすく、授業中に先生の手や服が白くなっている光景もよく見られました。
黒板消しを叩く作業は面倒に感じられることもありましたが、同時にちょっとした息抜きの時間でもありました。窓の外の景色を眺めながら、友達と順番を代わりばんこにしたり、粉がどこまで飛ぶか競争のようにして楽しんだりする子どもたちもいたようです。今となっては懐かしい、昭和の学校ならではのゆるやかな時間の流れを感じさせるエピソードのひとつといえるでしょう。
5、今の子どもたちには伝わりにくい昭和のあるある
現在の小学生に「黒板消しを窓の外でパンパン叩いていた」と話しても、なかなかピンとこないかもしれません。黒板消しクリーナーが当たり前に設置されている環境で育った子どもたちにとって、粉を手作業で落とすという発想自体が想像しづらいものになっています。さらに近年では、黒板そのものがホワイトボードや電子黒板に置き換わっている学校も増えており、チョークの粉に悩まされるという経験自体が過去のものになりつつあります。
こうした昭和後期特有のあるあるは、当時を知る世代にとっては懐かしい記憶であると同時に、時代の移り変わりを実感させてくれるものでもあります。日直という制度自体は今も多くの学校に残っていますが、その中身は少しずつ形を変えてきました。黒板消しをパンパン叩く光景は、まさに昭和という時代を象徴する小さな一コマだったのかもしれません。
6、まとめ
黒板消しクリーナーがない時代の小学校では、日直の仕事として窓の外に向かって黒板消しを叩き、チョークの粉を落とす作業が日常的に行われていました。風向きを間違えれば自分が真っ白になってしまうというハプニングも含めて、当時を経験した世代にとっては共感必至のエピソードです。設備が進化した今だからこそ、こうした昭和後期ならではの小さな思い出を振り返ってみるのも良いのではないでしょうか。
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