【昭和レトロ】家中のドアノブに「手編みカバー」があった風景。母の愛情と毛糸の温もりが詰まったあの場所

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昭和あるある
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昭和後期あるある~ドアノブに「手編みのカバー」

なぜか家中の冷たい金属部分(ドアノブ、黒電話の受話器など)に、毛糸で編まれた謎のカバーが被せられている。

昭和後期、日本の家庭を彩っていた、温かくて、少しだけ奇妙で、そして最高に懐かしいインテリアをご存知でしょうか。

家の扉を開けると、そこには毛糸で編まれた可愛らしいドアノブカバーが。電話に出ようとすると、受話器にもまた、色とりどりの毛糸が被せられている。昭和54年(1979年)から60年代にかけて、日本の多くの家庭で見られた、あの「手編みカバー」の数々。

今思えば、機能的とは言い難いものもありました。しかし、それらは当時の家庭において、間違いなく「家族を愛する」という行為の結晶だったのです。今回は、なぜ昭和の母たちは家中のあらゆる場所に毛糸を巻き付けたのか、そしてあの少し不器用で、しかし最高に温かかった「昭和の手編み文化」の全貌を振り返ります。


1. 昭和の家は「毛糸」に守られていた

昭和後期の台所やリビングを思い浮かべてみてください。今よりもずっと、家庭内には「手作りの温もり」が溢れていました。手芸が趣味だったお母さん、あるいは学校の家庭科の授業で習ったことを一生懸命実践していたお姉さんたち。彼女たちの手元から、次々と編み出された毛糸の作品たちは、家中の至る所を「冬支度」させていました。

なぜ、金属部分に毛糸を巻くのか?

当時の金属製のドアノブや、黒電話の受話器。それらは非常に硬質で、冬場には冷たく、夏場には手の汗を吸ってべたつくという、あまり快適とは言えない素材でした。

「冷たいなら、温めればいい」 「汚れるなら、守ればいい」

そんな昭和の主婦たちの発想から、手編みカバーは生まれました。それは決して、現代のような「ミニマリストなインテリア」からは程遠い存在でしたが、そこには「モノを大切に使い、暮らしを快適にする」という、質素で堅実な昭和の生活の知恵が詰まっていたのです。


2. 昭和の「必須アイテム」:三種の神器ならぬ「三種のカバー」

当時の家の中で、特に「手編みカバー」が施されやすかった聖域を紹介します。今、皆さんの記憶の引き出しが、カチャリと開く音が聞こえてきそうです。

① ドアノブカバー:家中の入り口を覆う毛糸

最もポピュラーだったのが、丸い金属製のドアノブに被せられたカバーです。 クロッシェ(かぎ針編み)で円形に編まれ、縁をゴムで絞ったそのカバーは、ドアノブに装着すると、まるで「ぼんぼり」のような愛らしさを放っていました。

  • 回す時のあの感触: 金属の冷たさを感じることなく、柔らかい毛糸越しにドアを開ける。あの「キュッ」という摩擦音と、手に馴染む感触は、昭和の家を開ける時の独特の心地よさでした。
  • デザインの多様性: シンプルな一色編みから、花柄模様、あるいは当時の流行りを取り入れた複雑な編み込みまで。部屋ごとに色が違ったりして、そこには編んだ人のちょっとした「こだわり」や「遊び心」が隠されていました。

② 黒電話の受話器カバー:耳元に伝わる「柔らかさ」

これは、昭和の電話機を語る上で外せません。黒電話の受話器は重く、硬く、冬場は耳が痛くなるほどでした。 そこを毛糸で包み込むという発想。受話器を耳に当てるたびに、毛糸の「シャリッ」という感触が耳を覆います。

  • 蒸れとの戦い: 長電話をすると、このカバーが湿気を含んでしまうという欠点もありましたが、それでも「このカバーがあるから、今の受話器は汚れない」と母は言い張りました。受話器カバーは、家族の会話の回数だけ、少しずつ色褪せていく勲章のようなものだったのです。

③ トイレットペーパーホルダーとティッシュカバー

これらは今でも手編みをする人はいますが、昭和後期は「家中のあらゆる布製品を編み物にする」という熱狂がありました。トイレに置かれたトイレットペーパーをドレスのように包み込むカバー。あれを編むための本が、当時の主婦雑誌には必ずと言っていいほど掲載されていたのです。


3. なぜあれほど熱心に編んだのか?:昭和の家庭における「手芸」という愛の形

現代であれば「100円ショップで買ったほうが早いし綺麗」で済まされることも、当時はすべて「手編み」で解決されていました。しかし、そこには単なる節約や機能性だけではない、もっと深い感情がありました。

「暮らしを作る」という喜び

昭和の主婦たちにとって、手編みは最高の趣味であり、自己表現の手段でした。編み物本を片手に、夜な夜な毛糸を操る姿は、当時の日本の家庭の典型的な光景でした。 夫が帰宅し、子どもが宿題を終え、ようやく訪れた静寂の時間。テレビの歌番組を聴きながら、無心に編み棒を動かす。そうしてできた作品を、翌朝、家の中に配置する。それは、彼女たちが「私の家」を、自分らしく整えるための儀式だったのです。

「メンテナンス」という名のスキンシップ

手編みカバーは、汚れたら外し、洗って、また乾かして装着する。この一連の作業には、家に対する強い愛着が感じられます。 「ドアノブカバー、汚れたから洗わなきゃ」 母のその言葉一つに、家の中の細かな部分まで目を配り、清潔を保とうとする強い意志がありました。今の時代、私たちは家を「消耗品」のように扱いがちですが、昭和の家は、家族の手によって絶えず「メンテナンス(手入れ)」され続ける、生きている空間だったのです。


4. 昭和の「色使い」が今、なぜか懐かしい

手編みカバーを思い出すとき、必ずセットで浮かぶのが「あの独特の色彩」です。

オレンジ、グリーン、そしてブラウン

昭和後期を象徴する、暖色系の色使い。 オレンジ、マスタードイエロー、深緑、そして茶色。これらは、70年代から80年代にかけてのインテリアデザインを席巻したカラーパレットでした。

  • 彩られた生活: 現代のインテリアが「白・グレー・黒」のモノトーンを好むのに対し、昭和の家は、どんなに狭いアパートの一室であっても、驚くほど色彩豊かでした。手編みカバーは、そんな昭和の空間に「彩り」を加えるアクセントとして、重要な役割を果たしていたのです。
  • 色の喧嘩: 今思えば、壁紙の模様とカーテンの色、そしてそこに加えられた手編みカバーの色が、時には「色の喧嘩」を起こしていることもありました。でも、それがなんだか騒がしくて、温かくて、人情味溢れる「昭和の家族」という感じがして、今となってはたまらなく愛おしいのです。

5. 時代とともに消えゆくもの、残るもの

90年代に入り、インテリアはよりシンプルでモダンな方向へと向かいました。ホームセンターに行けば、プラスチックや金属製のスタイリッシュな日用品が安価で手に入るようになり、手間のかかる「手編みカバー」は、次第に「時代遅れ」として台所から追放されていきました。

効率化が奪った「隙間」

現代の暮らしは、非常に効率的です。モノは使い捨てられ、壊れれば買い替える。それは素晴らしい進歩ですが、同時に、私たちがかつて享受していた「モノをいたわる時間」という隙間が、忙しい生活の中で失われてしまったような気もします。

「手編みカバー」が問いかけること

今、あのドアノブカバーや受話器カバーを見返すと、少しだけ滑稽にさえ見えます。しかし、そこには「家を愛でる心」という、何にも代えがたい豊かさがありました。 「冷たい金属に、少しの温もりを足してあげよう」 そんな優しい想像力が、昭和の家庭には確かにあったのです。


6. まとめ:毛糸の感触は、母の温もりそのもの

昭和後期の、ドアノブや電話に被せられた手編みのカバー。

今となっては、どこへ行ってしまったのか、すべて捨てられてしまったか、あるいは押し入れの奥でひっそりと眠っていることでしょう。でも、もしどこかで毛糸を編んでいる人を見かけたら、あの頃のことを思い出してみてください。

編み棒をカチカチと鳴らしながら、家族の快適さを考えていた母の横顔。 電話に出るたびに触れた、少しチクチクするような毛糸の感触。 寒い冬の日に、ドアを開けるたびに感じた、柔らかい布の安心感。

あの手編みカバーは、ただの「カバー」ではありませんでした。 それは、家族を守り、家族を想い、家族の日々を少しでも明るくしようとした、昭和の母たちが残した「魔法の守り」だったのです。

便利な暮らしは手に入れたけれど、私たちはあの頃、あの手編みカバーの中に、今よりもずっと多くの「愛」を包み込んでいたのかもしれません。

昭和「手編みカバー」あるある総仕上げ:

  • お客さんが来た時に、手編みカバーの毛玉が取れてドアノブに絡まり、少し恥ずかしい思いをする。
  • 毛糸が伸びきってしまい、受話器からズルリとずり落ちてきて、電話の邪魔になる。
  • 洗濯をして乾かした後に、少し縮んでしまって、どうしても元に戻らなくなる。

あなたがかつて、何気なく触れていたあの毛糸の感触。その不器用な編み目は、今もあなたの心という名の「台所」で、ずっと温かなままで待ち続けています。