かしいかえん・太宰府遊園地・到津遊園──スペースワールド以前、九州北部の子どもたちが胸を躍らせた休日の王道レジャー

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昭和あるある
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はじめに──あの遊園地への遠足を覚えていらっしゃいますか?

昭和後期あるある~週末の遊園地(主に九州北部のみなさん)は「かしいかえん」か「太宰府遊園地」または小倉にあった「いとうづ遊園地」

まだスペースワールド(1990年開園)が存在しなかった時代の、休日の王道レジャー。かしいかえんのフラワーガーデンや、太宰府遊園地の少しレトロな乗り物に胸を躍らせる。

「今日はかしいかえんに行くよ」「太宰府遊園地に連れて行って!」「到津遊園のジェットコースター乗りたい!」──1990年にスペースワールドが開業するより前の時代、昭和後期の九州北部で育った子どもたちにとって、週末や夏休みの最大の楽しみはこの三つの遊園地でした。

花々が咲き誇る「かしいかえん(西鉄香椎花園)」、太宰府天満宮の境内に隣接した「だざいふ遊園地(当時の名称:だざいふえん)」、そして小倉の丘陵地にある「到津遊園(いとうづゆうえん)」。それぞれ異なる個性と魅力を持ちながら、九州北部の家族連れの休日を長年にわたって彩り続けたこれらの遊園地は、スペースワールドという巨大な競合の登場によって、昭和のきらめきとともに記憶の中に刻まれていきました。

本記事では、スペースワールド開業以前の昭和後期に輝いていた三つの遊園地の歴史と魅力を、懐かしく振り返ってまいります。


第1章 かしいかえん(西鉄香椎花園)──「花の遊園地」の記憶

「香椎チューリップ園」から始まった歴史

かしいかえんの歴史は、1938年(昭和13年)に西鉄の前身会社のひとつ・博多湾鉄道汽船が「香椎チューリップ園」として開園したことに始まります。太平洋戦争中の1943年に一度閉鎖され、食糧自給のための農園に転用されましたが、戦後の1956年(昭和31年)に「香椎花園」として改めて開園し、以来「かしいかえん」の愛称で福岡市民に親しまれ続けました。

西日本鉄道(西鉄)が運営し、西鉄貝塚線「香椎花園前駅」からすぐという好アクセスも家族連れに支持される理由のひとつでした。福岡市東区に位置するこの遊園地は、長年にわたって「福岡市内唯一の遊園地」としての地位を守り続けました。

「花の遊園地」というアイデンティティ

かしいかえんの最大の特徴は、「花の遊園地」を称した豊かな花々でした。チューリップ園を前身とするだけあって、園内には花が絶えない環境が整えられており、5月上旬には全長90メートルに及ぶバラのトンネルが来園者を迎えたとされています。

遊園地としての乗り物・アトラクションに加え、季節ごとに美しい花が咲き誇る庭園空間を合わせ持つというコンセプトは、子どもだけでなく保護者にとっても魅力的なものでした。「遊ぶだけでなく、花を見てゆっくりする」という過ごし方が成立する遊園地として、昭和の家族連れに広く支持されていました。

ピーク時は年間57万人を記録

昭和後期のかしいかえんは、多くの来園者で賑わっていました。1986年度のピーク時には、年間約57万人が訪れる福岡を代表する遊園地へと成長しています。観覧車やプールなどの施設を備え、放課後や週末の定番スポットとして福岡の子どもたちの記憶に深く刻まれました。

その後、レジャーの多様化や少子化の影響で来園者数は減少傾向となり、2009年には子どもに人気の動物キャラクター「シルバニアファミリー」の世界観を取り入れて「かしいかえん シルバニアガーデン」として刷新されました。しかし老朽化とコロナ禍による来場者減少が重なり、2021年12月30日をもって65年(前身の香椎チューリップ園からは83年)の歴史に幕を下ろしました。


第2章 だざいふ遊園地──天満宮の境内に昭和から息づく遊び場

1957年開園、西鉄と太宰府天満宮が出資

だざいふ遊園地は、1957年(昭和32年)10月13日に「だざいふえん」の名で開園しました。西鉄(西日本鉄道)と太宰府天満宮などが出資して設立した株式会社太宰府園が運営しており、太宰府天満宮から境内東側の約3万平方メートルの敷地が無償で提供されたという、他では例を見ない特別な背景を持つ遊園地です。

開園時の資本金は2,500万円(西鉄・太宰府天満宮各1,000万円、その他500万円)で設立され、学問の神様・菅原道真公を祀る太宰府天満宮の参拝客にも楽しんでもらえる施設として計画されました。

「レトロな乗り物」が昭和の子どもたちを魅了した

だざいふ遊園地の魅力のひとつは、ゴーカート、コーヒーカップ、メリーゴーランドなど、子ども向けの約20種類のアトラクションが揃った、こぢんまりとした温かみのある空間にありました。大型テーマパークのような派手さはなくても、乗り物ひとつひとつに向き合える距離感と、天満宮の境内という独特の空気感が合わさって、昭和の子どもたちに「少しレトロだけど好き」という独特の愛着を生み出していました。

また、だざいふ遊園地はジェットコースターを西日本で初めて導入した遊園地でもあります(後に観覧車は2011年に発生した事故の後に撤去されています)。太宰府天満宮への参拝と遊園地を組み合わせた「太宰府の一日」は、昭和の九州北部の家族にとって定番の休日の過ごし方でした。

令和の現在も現役で続く稀有な存在

かしいかえんや到津遊園が閉園した後も、だざいふ遊園地は令和の現在も営業を続けています。昭和32年の開園から60年以上が経過した今でも、メリーゴーランドや水上コースター、トレインコースターなど約20種類のアトラクションを揃え、太宰府を訪れる家族連れの憩いの場として機能しています。昭和から令和まで変わらず子どもたちの笑顔を受け止め続けているこの遊園地は、九州北部の遊園地の中でも最も息の長い存在と言えるでしょう。


第3章 到津遊園(いとうづゆうえん)──大正時代から続いた北九州の名園

1925年開園、北九州に根を下ろした長命の遊園地

到津遊園は、1925年(大正14年)7月31日に「九軌到津遊園地」として開園しました。九州電気軌道が創立25周年記念事業として、小倉市到津の自然の丘陵地(33,000平方メートルの敷地)を活用し、地形や樹木をそのまま生かした形で作られたのがその始まりです。

戦時中の1944年に一度閉鎖されましたが、戦後に再開し、長年にわたって西日本鉄道(西鉄)が運営する北九州を代表する遊園地として親しまれました。1969年のピーク時には年間80万人の入場者を記録したというから、その人気ぶりがわかります。

動物園と遊園地が一体の「総合レジャー施設」

到津遊園の大きな特徴のひとつが、遊園地と動物園が一体となった施設構成でした。ジェットコースターや観覧車などの遊園地アトラクションとともに、動物を見て触れることができる動物園エリアを持つ「総合レジャー施設」として、幅広い年齢層の来園者に対応していました。

昭和47年(1972年)には「西日本一のひまわり観覧車」が設置されるなど、時代に合わせた施設拡充も行われました。北九州市小倉の丘陵地という立地を活かした緑豊かな環境の中で、動物を見て乗り物に乗って一日中過ごせるというスタイルは、昭和の家族連れに長く支持され続けました。

スペースワールドの開業と2000年の閉園

1990年(平成2年)のスペースワールド開業は、到津遊園にとって大きな転換点となりました。宇宙をテーマにした大型テーマパークの登場は、旧来型の遊園地の集客力に影を落とし、施設の老朽化・陳腐化、少子化、北九州市の人口減少、そして1992年の西鉄北九州線一部廃止による交通アクセスの低下なども重なって、来園者数は減少の一途をたどります。

そして2000年(平成12年)5月31日、到津遊園は経営悪化を理由に閉園しました。大正14年の開園から実に75年間、北九州の人々の余暇を支え続けた遊園地の幕が下りたのです。跡地はその後、北九州市が引き継いで「到津の森公園」として2002年にリニューアルオープンし、動物園と遊び場を持つ市営の自然公園として現在も多くの市民に親しまれています。


第4章 スペースワールド開業が変えた九州北部のレジャー地図

1990年(平成2年)4月開業という転換点

スペースワールドは1990年(平成2年)4月に北九州市八幡東区に開業した宇宙テーマパークです。NASA公認の宇宙展示施設やジェットコースターなどの大型アトラクションを持つこのテーマパークの登場は、九州北部のレジャー事情を大きく塗り替えました。

それまで「週末の遊園地といえばかしいかえん・太宰府遊園地・到津遊園」というのが九州北部の常識でしたが、スペースワールドの圧倒的なスケールは既存の遊園地との明確な「格の差」を可視化する結果にもなりました。スペースワールドの開業年である1990年は、まさに昭和型の遊園地文化が転換を迫られた年でもあったのです。

なお、スペースワールド自体も2018年1月1日に閉園しており、かつて北九州のレジャーシーンを賑わせた遊園地たちがそれぞれ歴史に幕を下ろすこととなりました。

スペースワールド以前に育まれた「遊園地の記憶」

スペースワールドが開業する以前の昭和後期において、かしいかえん・太宰府遊園地・到津遊園は、九州北部の子どもたちにとって「遊園地体験」のほぼすべてを担っていました。

花のトンネルをくぐるかしいかえん、天満宮の空気を纏った太宰府遊園地、丘陵の緑の中の到津遊園──それぞれの場所で過ごした時間、家族で食べたお弁当、列に並んで乗り込んだ乗り物、記念写真のシャッター音──これらはすべて、その後のどんな大型テーマパーク体験とも上書きできない、昭和という時代固有の記憶として残っています。


まとめ──三つの遊園地が刻んだ昭和の週末の輝き

かしいかえんの花のトンネル、太宰府遊園地のレトロな乗り物、到津遊園の緑の丘の動物たち──スペースワールドが存在しなかった時代、これら三つの遊園地が九州北部の子どもたちの「遊園地」そのものでした。

それぞれが1950年代から60年代にかけて整備・開園し、昭和の家族連れの休日を支え続けたこれらの遊園地は、時代の変化の中でそれぞれ異なる運命をたどりました。かしいかえんと到津遊園はすでに歴史の中に閉じられ、だざいふ遊園地だけが令和の今もその場所で子どもたちを迎え続けています。

「子どもの頃、かしいかえんに連れて行ってもらった」「到津遊園で動物を見た」「太宰府遊園地のあの乗り物に並んだ」──そうした記憶をお持ちの方にとって、あの時代の遊園地はただの施設ではなく、家族と過ごした昭和の休日そのものではないでしょうか。


本記事は昭和の九州北部の遊園地文化に関する歴史的・文化的記録を目的としています。記載の情報は執筆時点での各種資料・ウェブサイト等に基づくものです。


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