「私はこれで、会社を辞めました」禁煙パイポCMの小指の意味とは?昭和59年に一世を風靡した伝説のフレーズを振り返る

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昭和後期のCMあるある~「私はこれで、会社を辞めました」(マルマン・禁煙パイポ / 1984年) 

スーツ姿の男性が小指を立てて言うこのセリフは大流行し、子供たちも意味もわからず小指を立てて真似をしていました。

昭和後期を過ごした方であれば、スーツ姿の中年男性が小指をピンと立てて「私は、コレで、会社を辞めました」とつぶやくあのCMを、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。1984年(昭和59年)に放映された禁煙パイポのテレビCMは、当時の子供たちが意味もわからず小指を立てて真似をするほどの社会現象となりました。今回は、このCMがなぜあれほどまでに話題になったのか、その背景や出演者のその後まで、事実に基づいて振り返ってまいります。

1. 禁煙パイポとはどのような商品だったのか

禁煙パイポは、タバコ型をした禁煙補助グッズです。1984年に、マルマンの関連会社であった「アルマン」から発売されました。現在はマルマンH&Bが販売を引き継ぎ、禁煙パイポと電子パイポの二つのラインで展開されています。

パイプを口にする愛煙家は、喫煙時以外にもパイプを咥えていることが多く、その心理的な背景には口唇欲求があるという考え方から発想されました。縁日で売られていたハッカパイプにヒントを得て、ミントや柑橘系の風味を吸いながらタバコの代わりに咥えることで、口寂しさを紛らわせる禁煙具として開発された商品でございます。商品名の「パイポ」は、落語の「寿限無」に登場する言葉に由来し、パイプに近い響きを持つことから名付けられました。

当時はまだ「禁煙グッズ」という発想自体が珍しく、タバコをやめるための専用商品はほとんど市場に存在していませんでした。そうした中で、口にパイポを咥えることでタバコを吸っているかのような感覚を得られるという商品コンセプトは、当時としては非常に画期的なものでした。ニコチンを含まないため、あくまで気持ちの面や習慣の面から禁煙をサポートする、という位置づけの商品だった点も見逃せないところでございます。

2. CMの内容と「小指」に隠された演出の意図

禁煙パイポのCMには、スーツ姿の中年男性が3人登場いたします。1人目の男性が青いグラデーションの背景で禁煙パイポを手に「私は、この禁煙パイポでタバコをやめました」と語り、2人目の男性も同様に「私もこのパイポでタバコをやめました」と続けます。そして3人目の男性だけがパイポを持たず、ピンク色の背景で小指を立てながら「私は、コレで、会社を辞めました」と告白する、という構成になっておりました。

この「コレ」が指すものは禁煙パイポそのものであり、女性関係を暗示する意図はなかったとされています。しかし、あえて小指を立てるという意味深な演出にすることで視聴者の想像をかき立て、強烈な印象を残す仕掛けになっていたと考えられます。このCMを手がけたのは市川準監督で、制作費や放映費はすべて銀行からの借入で調達し、失敗すれば会社が倒産しかねないという背水の陣で臨んだ企画だったと伝えられています。

出演者の選定についても興味深い逸話が残っています。3人の男性はいずれも日本禁煙友愛会の会員であり、エキストラ派遣会社を通じて集まった一般の応募者の中から、市川監督が中心となって選び抜いたそうです。プロの俳優ではなく、あくまで市井の人々に演じさせることで、CMに親しみやすさとリアリティを持たせようとしたのではないかと考えられます。こうした細部へのこだわりが、後に社会現象と呼ばれるほどのヒットにつながっていったのでございます。

3. 静岡でのテスト放送から全国的な大ヒットへ

このCMは、いきなり全国放送されたわけではございません。1984年5月、まずは静岡県でテスト放送が行われました。当初は公序良俗に反するのではないか、女性団体からの抗議があるのではないかと制作スタッフも懸念しており、実際に一度は放映を拒否され、小指を立てないバージョンも用意されていたといわれています。

静岡での反応を経て、3か月後の1984年8月ごろから東京での放映が開始されると、たちまち大きな話題を呼びました。「アイツは誰だ」と評判になり、CMをきっかけに禁煙パイポの売上は急増。放映開始から3年後には、年商が7億円から40億円へと急拡大したと記録されています。

4. 小指を立てた男性・手塚和重さんの素顔

小指を立てて「私はコレで会社を辞めました」と語った人物は、手塚和重さんです。CM出演当時は44歳で、実は地方公務員として働いておりました。学生時代からボディビルで体を鍛えており、もともとタバコを吸う習慣もなかったそうです。30代の頃からエキストラ団体に登録し、CMや映画に出演していたところ、禁煙パイポのオーディションに応募したことがきっかけで、この役を勝ち取ったといわれています。

出演料は交通費と弁当代のみでしたが、CMが大ヒットしたことを受けて、後に謝礼が支払われたとのことです。手塚さんはこのCMのヒットによって、公務員という立場でありながら街中で声をかけられるほどの有名人になり、子供たちにも真似をされる存在になりました。なお、CMに出演していた3人のうち、左端に映っていた男性は放映から数年後に亡くなり、真ん中の男性の消息は分かっていないとのことです。

後年のインタビューによりますと、手塚さんは地方公務員を60歳で定年退職された後、地元のシルバー人材センターに登録し、庭師として現役で活躍していたそうです。公園や霊園での樹木管理を長く担当してきた経験を活かし、定年後も現役時代の知識や技術を生かせる仕事に就かれたとのことでございます。CM出演から数十年が経ったのちも、当時の話を求められて取材を受けることがあったといい、一本のCMがいかに長く人々の記憶に残るものであったかがうかがえます。

5. 流行語大賞受賞と昭和を代表するCMとしての評価

「私はコレで会社をやめました」というセリフは、1985年の新語・流行語大賞において、流行語部門・大衆賞に選出されました。また、1991年に日本テレビコマーシャル制作社連盟(現・日本アド・コンテンツ制作社連盟)が選定した「昭和のCF100選」にも選ばれており、昭和後期を象徴するCMのひとつとして高く評価されています。

当時はまだ「喫煙はカッコいい」という風潮が根強く残っていた時代でしたが、このCMをきっかけに禁煙への意識が徐々に広がっていったともいわれています。子供たちが意味も分からず小指を立てて真似をしていた光景は、まさに昭和後期ならではのCM文化を象徴する一場面だったのではないでしょうか。

この現象が示しているのは、CMというものが単なる商品宣伝の枠を超えて、世代を越えて共有される文化的な記号になり得るということです。小指を立てるという一つの動作が、意味を理解していない子供たちの間にまで浸透したという事実は、テレビが今よりもはるかに強い影響力を持っていた昭和という時代の空気を映し出しているように思われます。禁煙パイポという商品名以上に、この一連の動作とセリフのほうが強く記憶に残っているという方も少なくないのではないでしょうか。

まとめ

禁煙パイポのCMは、わずか30秒の中に強烈な印象を残す演出と、時代の空気を巧みに取り込んだセリフによって、一世を風靡した昭和後期の名作CMです。小指を立てるという何気ない動作ひとつが、こんなに長く語り継がれる文化になるとは、当時の制作陣も想像していなかったかもしれません。今の若い世代には伝わりにくいかもしれませんが、あの時代を生きた者にとっては、忘れられない一コマとして記憶に刻まれているのではないでしょうか。


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