昭和後期のヤンキー言葉あるある~「ボンタン」と「ドカン」
太もも部分が異常に太く、裾が細く絞られているズボン(ボンタン)と、土管のように全体が太いズボン(ドカン)。裏地の色(紫や赤)にも命をかけていました。
昭和後期、街を歩く学生服姿の若者たちの中には、明らかに規格外のシルエットをしたズボンを穿いている人たちがいました。太ももの部分が異常に太く、裾に向かって極端に絞り込まれた「ボンタン」、そして太もも部分だけでなく裾まで全体が土管のように太い「ドカン」。この二つは似ているようでまったく別物であり、当時のヤンキー文化を語るうえで欠かせない存在でした。さらに裏地の色にまでこだわりを持ち、紫や赤といった派手な色を選ぶことがステータスにすらなっていたのです。今回は、そんなボンタンとドカンの違いや流行の背景、裏地へのこだわりについて振り返ってまいります。
1.ボンタンとドカンはどう違うのか
ボンタンとドカンは、どちらも学生服の変形ズボンとして昭和の不良文化を象徴する存在でしたが、シルエットには明確な違いがありました。ボンタンは、正式には「わたり」と呼ばれる太もも部分の幅が極端に太く仕立てられている一方で、裾に近づくにつれてキュッと細く絞り込まれているのが特徴です。まるで風船のように上部が膨らみ、裾だけが締まった独特のシルエットが、ボンタンという名前の由来になったともいわれています。
これに対してドカンは、太もも部分から裾までがほぼ同じ太さで作られており、絞り込みがほとんどないストレートな極太シルエットが特徴でした。歩くたびに生地がバサバサと揺れるその姿は、まさに土管を連想させるものであり、そのインパクトの強さから「ドカン」という呼び名が定着したとされています。
さらに細かく見ていくと、ボンタンの中にもいくつかのバリエーションが存在していました。膝下から一度膨らんでから細くなる「バナナボンタン」や、膝下から裾にかけてスリムに絞られる、通称「ボンスリ」と呼ばれるタイプなどが代表的です。同じボンタンという名称でも、地域や世代によってシルエットの好みが少しずつ異なっていたというのも、当時ならではの奥深さといえるでしょう。
流行の順番にも違いがあり、1970年代の校内暴力が社会問題化していた時期には、長い丈の学生服とドカンの組み合わせが不良の象徴とされていました。しかしドカンは生地の量が多く動きにくいため、ケンカや逃走に不向きという弱点がありました。その反省から、1980年代にかけては機動力を重視した短めの学生服とボンタンの組み合わせが主流になっていったといわれています。動きやすさを重視した結果、丈も長ランから短ランへと短くなっていき、変形学生服全体のトレンドが少しずつ変化していったのです。
2.なぜここまで太いズボンが流行したのか
一見すると不便にしか見えない極太ズボンが、なぜあれほどまでに支持されたのでしょうか。背景には、標準的な学生服への反発心がありました。当時の若者たちにとって、規則通りの制服を着ることは「個性のなさ」の象徴でした。あえて規格外のシルエットに仕立てることで、周囲との違いを主張し、自分たちの存在感を示していたのです。
また、当時流行していた漫画やドラマの影響も見逃せません。不良学生たちの生活を描いた作品の中で、変形学生服やボンタン姿の主人公たちが繰り返し登場したことで、実際の学生たちの間でも真似をする流れが広がりました。作品の中に登場した「相手のボンタンを奪い取る」という行為が現実の学生の間でも見られたというエピソードも、当時の熱狂ぶりを物語っています。
さらに興味深いのは、ボンタンを穿いていたのは必ずしも不良グループの学生ばかりではなかったという点です。「標準の学生服はダサい」というイメージから、ファッション感覚で少しだけ太めのズボンを選ぶ一般的な学生も少なくありませんでした。先輩や親戚から譲り受けたボンタンを大切に穿き続けるというのも、当時ならではの光景だったといえるでしょう。
一方で、あまりに目立つボンタンを穿いていると、他校の学生や先輩から狙われてしまうという事情もありました。気に入っていたボンタンを無理やり奪い取られてしまい、悔しい思いをした経験を持つ人も少なくなかったそうです。中には、そうして奪ったボンタンを別の後輩に売って小遣い稼ぎをする者もいたというから驚きです。自分の穿いていたボンタンを奪われてしまい、アルバイトでお金を貯めて買い直したというエピソードも残っているほど、当時の学生たちにとってボンタンは単なる衣類以上の価値を持つ特別な存在だったのです。
3.裏地の色にこだわり抜いた理由
ボンタンやドカンを語るうえで欠かせないのが、裏地へのこだわりです。表からは見えない裏地の部分に、紫や赤、金色といった派手な色をあしらうことが、当時の若者たちにとって重要な意味を持っていました。
裏地はふとした瞬間、たとえば座ったときや歩いているときの裾の揺れによってチラリと見えることがあります。その一瞬の「見せ」の演出のために、あえて目立つ色を選んでいたのです。表面は落ち着いた黒や紺色でまとめながら、裏地だけで個性を主張するという発想は、派手さと美学を両立させた独特のセンスだったといえるでしょう。
裏地の色には仲間内での序列やこだわりの深さが表れることもあり、金額をかけて特注で仕立てる学生もいたといわれています。表からは見えない部分にまでとことんこだわり抜く姿勢は、単なる不良のファッションというだけでなく、一種の職人気質にも似た情熱があったのかもしれません。
裏地に凝っていたのはズボンだけではありません。長ランや短ランといった学生服の上着についても、裏地に刺繍を施したり、豪華な柄の生地を仕立てたりすることが一種のステータスになっていました。表面はあくまでシンプルに、しかし内側には手間とお金をかけるというスタイルは、外見だけでなく「持ち主の本気度」を示す指標として仲間内で評価されていたのです。誰にも見せないはずの部分にこそ情熱を注ぐという美意識は、現代の私たちから見てもどこか粋なこだわりだったように感じられます。
4.変形学生服はどこで手に入れていたのか
ボンタンやドカンといった変形学生服は、一般的な学生服店では取り扱われていないことがほとんどでした。そのため、専門の販売店に足を運んで購入するのが当時の定番だったといわれています。駅前の商店街などには、こうした変形学生服を専門に扱う店舗が存在し、地方によっては同様の専門店が点在していました。
こうした店では、ワタリ幅や裾幅、着丈をミリ単位で指定してオーダーメイドすることもでき、自分だけの一着に仕立て上げることも可能でした。裏地の色や刺繍のデザインまで細かく選べる店舗もあり、既製品にはない特別感が人気を後押ししていたのです。
友人や先輩の紹介でこうした専門店の存在を知り、自転車や電車を乗り継いで隣町や隣県まで買いに出かけたという学生も少なくありませんでした。仕上がりを待つ間の期待感や、完成したボンタンを初めて袖を通したときの高揚感は、既製品の制服を購入するのとはまったく違う特別な体験だったといえるでしょう。学校指定の店では扱っていない分、こうした専門店の情報は口コミで広がることが多く、地域ごとに人気の店舗が存在していたのも興味深い点です。
5.現代から見るボンタン・ドカン文化の魅力
今でこそブレザー制服が主流となり、変形学生服そのものを目にする機会はほとんどなくなりました。しかし、ボンタンやドカンに代表される昭和のファッション文化は、単なる不良の象徴という枠を超え、時代を映す独特のスタイルとして今もなお語り継がれています。
規格外のシルエットにこだわり、裏地の色にまで美学を持ち込むという発想は、現代のストリートファッションにも通じる部分があるのではないでしょうか。当時を知る世代にとっては懐かしい思い出であり、知らない世代にとっては新鮮な驚きを与えてくれる、そんな昭和のカルチャーの奥深さを感じさせてくれます。
ボンタンとドカン、それぞれのシルエットに込められた個性と美学を振り返ることで、昭和という時代の若者たちが何を大切にしていたのかが見えてくるように思います。
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