布団の中で聴く「シャバダバ」に背徳感──昭和の深夜番組『11PM』が子どもたちに刻んだ大人の世界の記憶

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はじめに──あのテーマ曲を布団の中で聴いた記憶はございませんか?

昭和後期あるある~大人が見る番組の大人の事情

『11PM』などの深夜番組から流れてくるテーマ曲(シャバダバダ〜)を布団の中で聴くと、見てはいけないものを見ているような背徳感と謎のドキドキ感があった。

夜11時を過ぎた頃、テレビから流れてくる「シャバダバシャバダバ〜」というスキャット。親にはとっくに寝るよう言われていたはずなのに、布団の中で耳だけをそばだてて、隣の部屋から漏れ聞こえてくるあの音楽に、なんとも言えないドキドキ感を覚えていた──。

昭和40〜60年代にお育ちの方なら、そんな記憶をお持ちの方が多いのではないでしょうか。その音楽の正体は、日本テレビ系列で1965年から1990年まで約24年半にわたって放送された深夜番組『11PM』(WIDE SHOW 11PM)のテーマ曲でした。

お色気あり、社会問題あり、趣味・娯楽ありの幅広い内容で大人たちを魅了し続けたこの番組は、子どもたちにとっては「見てはいけない大人の番組」の象徴でもありました。テレビの前に座ることは叶わなくても、布団の中でテーマ曲だけを聴きながら大人の世界への入口を感じていたあの体験は、昭和という時代ならではの豊かな記憶です。

本記事では、『11PM』という番組の実像と、昭和の子どもたちが感じていた「背徳感とドキドキ」の正体を詳しく振り返ってまいります。


第1章 『11PM』とはどんな番組だったのか

深夜の「不毛地帯」を開拓した伝説の番組

『11PM』(正式名称:WIDE SHOW 11PM)は、1965年(昭和40年)11月8日から1990年(平成2年)3月30日まで、日本テレビ・よみうりテレビの制作により日本テレビ系列で放送されたワイドショー番組です。平日の夜11時という、当時は「不毛地帯」と呼ばれていた深夜の時間帯を開拓した情報娯楽番組として、テレビ史に名を刻む存在です。

月・水・金曜日は日本テレビが、火・木曜日はよみうりテレビが分担して制作しました。日本テレビ放送分では大橋巨泉さんや愛川欽也さんが、よみうりテレビ放送分では作家の藤本義一さんが主に司会を担当し、それぞれの個性が番組に色を添えていました。

通算放送回数は東京イレブンが6,095回、大阪イレブンが2,530回、合計8,625回という驚異的な数字を誇り、約24年半という長期にわたって視聴者の夜を彩り続けました。

幅広すぎるコンテンツの守備範囲

『11PM』の内容の幅広さは、当時のテレビ番組の中でも際立っていました。麻雀、釣り、競馬などの趣味・娯楽から、政治・社会問題の硬派な特集まで、「硬軟とりまぜた」という表現がそのまま当てはまる番組でした。

しかし世間的に最も広く知られているのは、やはりお色気コンテンツとしての側面です。ヌードあり、風俗取材あり、刺激的なトークありという内容は、PTAや世間から「俗悪番組」「エロブンPM」などと批判を受ける一方で、大人の視聴者を強烈に引きつける磁力を持っていました。最高視聴率は1973年12月に放送された「東西ストリップ合戦」の回で48パーセント超を記録したとされており、深夜番組の視聴率としては驚異的な数字です。

文化人からの評価も一部にあり、作家の井上ひさし先生は1972年の雑誌の中で「最良のテレビ番組は『11PM』だ。そこには知恵があり、熱気があり、一生懸命テーマを出そうとする気概がある」と絶賛されています。


第2章 あのテーマ曲の正体──「シャバダバ」の魔力

三保敬太郎さんが即興で作ったテーマ曲

『11PM』のオープニングとエンディングに使われたテーマ曲は、ジャズピアニストの三保敬太郎さんが即興で作曲したものです。正式タイトルは「11PMのテーマ」。「シャバダバシャバダバ〜」と聞こえるスキャットが特徴的なこの曲は、シルエットのラインダンサーが踊るアニメーションをバックに流れ、番組の「大人の空気」を象徴するものとして長年親しまれました。

三保敬太郎さんはジャズピアニストとして知られる一方で、1980年代まではレーシングドライバーとしても活動したという多彩な人物でした。「11PMのテーマ」は番組開始時から終了まで一貫して使われ続け、テーマ音楽とアニメーションは第1回から番組終了まで変わらず用いられました。

録音には2バージョンが存在しており、オリジナルはクラシック出身の増田順平さん・睦美夫妻によるもので「イー!サバダバ」と歌っています。後に再録された「パー!サバダバ」のバージョンでは、女声パートを伊集加代さんが担当しました。また1982年には3人の女性グループ「あらん・どろん」が「ウィ!シャバダバ」のタイトルでカバーし、これが後に一般的なタイトルとして認知されることもあります。

「シャバダバ」が持っていた独特の官能性

子どもたちにとって、この「シャバダバ」という音楽が持っていた意味は特別なものでした。言葉による意味のないスキャットという形式が、何かを直接説明するのではなく、ただ「大人の雰囲気」というものを音として伝えてくる感覚がありました。

ジャジーなリズムと女性スキャットの組み合わせは、聴いた瞬間に「これは子どもが聴いてはいけない時間帯の音楽だ」という感覚を呼び起こすものでした。メロディーの中身がわからなくても、その音楽が持つ雰囲気だけで「大人の世界の入口」を感じさせる力を持っていたのです。

布団の中でその音楽を耳にするたびに、「今ごろテレビでは何をやっているんだろう」という想像力が刺激される──その「見えないから余計に気になる」体験が、昭和の子どもたちの記憶に深く刻まれました。


第3章 「見てはいけない」という感覚の正体

昭和の深夜テレビが持っていた「禁断の扉」感

現代のテレビ放送では、深夜帯の番組であっても以前と比べて内容の規制が整備されています。また、インターネットで多様なコンテンツに手軽にアクセスできる環境が整っているため、「テレビの深夜番組だけが大人のコンテンツへの窓口」という状況は今や存在しません。

しかし昭和後期には、深夜のテレビ番組は確かに「大人だけの時間帯」という明確な区分けがありました。子どもは夜9時か10時には寝るものという社会的規範があり、それ以降のテレビは大人のためのものでした。『11PM』はその象徴であり、夜11時という時刻そのものが「子どもには縁のない世界」の境界線を意味していました。

「背徳感」の構造──見ていないのに感じる罪悪感

興味深いのは、多くの昭和の子どもたちが「11PMを見てトラウマを持った」のではなく、「11PMのテーマ曲だけを聴いてドキドキした」という体験を持っているという点です。

実際に番組を見ることができなくても、テーマ曲が聞こえてくるだけで背徳感が生まれる。これは「見てはいけない」という禁止の意識が、コンテンツへのアクセスよりも先に機能していた状態といえます。

布団の中で目を閉じながら、隣の部屋から漏れてくる「シャバダバ」を聴く。その行為自体に罪悪感が伴い、しかしそのドキドキが心地よくもある──この矛盾した感覚こそが、昭和の「大人番組の背徳感」の正体でした。

親が番組を見ているという事実が持つ意味

子どもたちのドキドキ感をさらに高めていたのが、「自分の親がその番組を見ている」という事実でした。毎日一緒に夕食を食べて、「おやすみなさい」と言って別れたはずの親が、子どもが寝た後に「大人だけの番組」を楽しんでいる。

その事実は、親もまた「子どもには見せられない顔を持つ大人である」という当たり前のことを、改めて子どもに意識させるものでした。大人と子どもの境界線が、あのテーマ曲によって毎晩くっきりと引かれていたのです。


第4章 昭和の深夜テレビ文化が持っていた時代の空気

深夜放送の「開拓者」としての11PM

1965年の放送開始当時、夜11時以降は「不毛地帯」と呼ばれるほど番組が少ない時間帯でした。そこに登場した『11PM』は、深夜帯のテレビの可能性を切り開いた先駆者でもありました。

深夜に本格的なバラエティ・情報番組を放送するという試みは当時としては革新的であり、視聴者の生活リズムや夜型文化の変化とも連動していました。コンビニエンスストアが普及し、深夜に活動する人が増えていく昭和後期の社会変化と『11PM』の存在は、互いに影響し合う関係にあったとも言えるでしょう。

PTAと批判者たちとの攻防

『11PM』に対するPTAや世間からの批判は、長い放送期間を通じて続いていました。「子どもへの悪影響」「俗悪番組」という批判に対して、番組側は一定の自主規制をかけつつも、基本的なスタンスを変えることなく24年半を走り続けました。

この「批判されながらも続く番組」という構図もまた、昭和という時代の空気感を体現するものでした。視聴率が高ければ続く、という商業テレビの論理の中で、『11PM』は大人の視聴者の支持を背景に長命を保ったのです。

大橋巨泉さんと藤本義一さんという二つの顔

東京の大橋巨泉さんと大阪の藤本義一さんという二人の司会者は、それぞれ異なる個性で『11PM』の世界を作り上げていました。

大橋巨泉さんはジャズ評論家・放送作家の出身で、知的なトークと豪快な個性を持ち合わせた存在感で番組を牽引されました。直木賞作家でもあった藤本義一さんは、作家としての鋭い眼差しと関西人特有のユーモアで、「大阪イレブン」ならではの雰囲気を醸し出されていました。

この二人の個性の違いが、地域によって異なる「11PMの記憶」を生み出したとも言えます。関東と関西で育った昭和世代が、同じ『11PM』のテーマ曲を聴きながらも、微妙に異なる記憶を持っていることは珍しくありません。


第5章 『11PM』が終わった後の深夜テレビと、現代への継承

後継番組と深夜テレビの変化

1990年3月に『11PM』が終了した後、日本テレビ系の深夜枠には『トゥナイト』(テレビ朝日)など後継的な位置づけの番組が登場しました。深夜テレビのお色気路線は形を変えながら続いていきましたが、1990年代以降は放送倫理や自主規制の整備が進み、昭和期の『11PM』のような大胆な内容は次第に見られなくなっていきました。

また、衛星放送・ケーブルテレビ・インターネットの普及により、「深夜のテレビだけが大人コンテンツへの特別な入口」という時代も終わりを迎えました。

「シャバダバ」が今も呼び起こすもの

現代において、「11PMのテーマ」を耳にした昭和世代の方が感じるのは、単なる懐かしさだけではないかもしれません。あの音楽を聴いた瞬間に、布団の中で感じたドキドキ感、隣の部屋からテーマ曲が聞こえてきたあの夜の感覚、「大人の世界はそこにある」という子ども心の感慨──そういったものが、音楽とともにまるごとよみがえってくるのではないでしょうか。

音楽が記憶の扉を開く力を持つことは広く知られていますが、「11PMのテーマ」はその力を特別に強く持った曲のひとつです。昭和という時代の深夜の空気、大人と子どもの境界線、禁断の果実への憧れ──それらすべてが「シャバダバ」という数音の中に凝縮されているのです。


まとめ──布団の中の「シャバダバ」が教えてくれた昭和の大人の世界

夜11時を知らせるように流れる「シャバダバシャバダバ〜」。見ることは叶わなくても、その音楽だけが布団の中の子どもたちに届き、大人の世界の存在を静かに、しかし確実に伝えていました。

『11PM』という番組は、約24年半という長い歴史の中で昭和の深夜テレビの顔であり続けました。大橋巨泉さんや藤本義一さんという個性的な司会者たち、三保敬太郎さんが即興で生み出したテーマ曲、ラインダンサーが踊るシルエットのアニメーション──それらすべてが合わさって、昭和という時代の「夜11時」という特別な時間を形作っていました。

布団の中でテーマ曲を聴いていたあの子どもたちが大人になった今、「シャバダバ」の一節を聴けば、あの頃の夜の空気がありありとよみがえってくることでしょう。背徳感と憧れが混じり合ったあのドキドキは、昭和という時代が子どもたちに手渡してくれた、かけがえのない記憶のひとつなのではないでしょうか。


本記事は昭和の深夜テレビ文化に関する歴史的・文化的記録を目的としています。記載の情報は執筆時点での調査に基づくものです。


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