鈍器のような分厚さの電話帳が毎年届いた時代──昭和の「ハローページ・タウンページ」をめぐる懐かしい記憶

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昭和あるある
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はじめに──あの分厚い電話帳を覚えていらっしゃいますか?

昭和後期あるある~分厚すぎる「電話帳(タウンページ・ハローページ)」

鈍器のような厚さの電話帳が毎年2冊届けられる。子供が座布団代わりに敷いて高さを調整したり、電話帳を真っ二つに引き裂く怪力マジックの真似事をしたりする。

毎年決まった時期になると、玄関先にずっしりと重い電話帳が届けられる。片手では持ち上げるのも一苦労なほど分厚く、まるで鈍器のような重量感。ページをめくると、びっしりと並んだ細かい文字と数字──。

昭和後期に育った方なら、家庭に届けられたあの分厚い電話帳の記憶をお持ちではないでしょうか。個人名を五十音順に並べた「ハローページ」、職業別に企業や店舗を掲載した「タウンページ」。インターネットも携帯電話もなかった時代、これらの電話帳は人や店の連絡先を調べるための欠かせない情報源でした。

子どもにとっては、その分厚さゆえに座布団代わりに敷いて高さを調整したり、「電話帳を真っ二つに引き裂く怪力マジック」の真似事をして失敗したりと、本来の用途とは違う遊び道具にもなっていました。本記事では、昭和の家庭に届いた分厚い電話帳をめぐる記憶と、その歴史を詳しく振り返ってまいります。


第1章 ハローページとタウンページとは何だったのか

五十音順の「ハローページ」と職業別の「タウンページ」

昭和の家庭に届けられた電話帳には、大きく分けて二つの種類がありました。個人名や企業名を五十音順に並べた電話帳と、企業や店舗を職業別(業種別)に分類した電話帳です。

このうち五十音順の電話帳が「ハローページ」、職業別の電話帳が「タウンページ」と呼ばれていました。これらの名称は、1983年(昭和58年)に日本電信電話公社(後のNTT)が、それまでの「50音別電話帳」を「ハローページ」に、職業別電話帳を「タウンページ」に改称したことで生まれたものです。タウンページという愛称は公募によって決定されたもので、その愛称を使った職業別電話帳が最初に発行されたのは1984年のことでした。

つまり「ハローページ」「タウンページ」という呼び名は昭和後期に誕生したものであり、それ以前は単に「電話帳」「職業別電話帳」などと呼ばれていました。

表紙の色で見分けた電話帳

職業別電話帳のタウンページは、鮮やかな黄色い表紙で親しまれていました。一方、五十音順のハローページには、店舗・企業を収録した「企業名編」と、個人名を収録した「個人名編」があり、青や緑の表紙で発行されていました。表紙の色によって、どの電話帳なのかが一目で見分けられるようになっていたのです。

ただし、表紙の色やデザインは地域や発行時期によって異なる場合がありました。お住まいの地域によって、手元に届いた電話帳の色の組み合わせの記憶はそれぞれ異なるかもしれません。

地域によって発行される冊数は異なりましたが、複数の冊子が毎年家庭に届けられることで、結果として家庭に分厚い電話帳が積み重なっていくことになりました。掲載数が少ない郡部などでは、ハローページとタウンページが合冊になった形で発行された時期もありました。

個人名が当たり前に載っていた時代

現代の感覚で驚かれるかもしれませんが、昭和の時代には個人の氏名・住所・電話番号が、本人の希望に基づいて電話帳に当たり前のように掲載されていました。引っ越してきたら電話帳に名前を載せる、というのが普通の感覚だった時代です。

実際、個人の固定電話番号の掲載率はかつて高く、1990年度(平成2年度)の時点では個人の固定電話番号の掲載率は約6割に達していました。電話帳を開けば近所の人の連絡先がわかる、という環境が当たり前だったのです。


第2章 なぜあんなに分厚かったのか

膨大な情報量を一冊に詰め込む必要があった

電話帳が「鈍器のような分厚さ」になった理由は、単純にその情報量の多さにあります。一つの地域に住むすべての掲載希望者の氏名・電話番号、そして地域内のあらゆる業種の企業・店舗の情報を、一冊(あるいは数冊)にまとめる必要がありました。

人口の多い都市部では掲載件数が膨大になり、電話帳は必然的に分厚くなりました。薄い紙に細かい文字でびっしりと印刷しても、なお相当な厚みになってしまうのが、当時の電話帳の宿命でした。

薄い紙と小さな文字の工夫

電話帳をできるだけコンパクトにするため、印刷には非常に薄い紙が使われていました。指で一枚ずつめくるのが難しいほど薄い紙に、小さな文字がぎっしりと並んでいたのが電話帳の特徴です。

それでも情報量が膨大なため、結果として電話帳は分厚く重いものになりました。薄い紙を大量に重ねた構造ゆえに、独特のずっしりとした重量感が生まれていたのです。

毎年更新される「使い捨て」の宿命

電話帳は毎年新しい版が発行されました。電話番号は新規加入・解約・引っ越しなどで常に変動するため、情報を最新に保つには定期的な更新が欠かせなかったのです。

新しい電話帳が届くと、古い電話帳は用済みになります。この「毎年大量に発行され、毎年大量に古いものが不要になる」というサイクルが、各家庭に「使い終わった分厚い電話帳」を生み出し続けました。その処分に困った経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。


第3章 電話帳をめぐる子どもたちの「あるある」

座布団・踏み台・高さ調整の道具として

本来は連絡先を調べるための電話帳ですが、その分厚さと頑丈さゆえに、子どもたちはさまざまな「本来とは違う使い方」を編み出しました。

椅子に座ったときに身長が足りないとき、電話帳を座布団代わりに敷いて高さを調整する。少し高い場所のものを取るときに踏み台代わりにする。そうした使い方は昭和の家庭ではよく見られた光景でした。分厚くて丈夫な電話帳は、子どもの体重を支えるのに十分な耐久性を持っていたのです。

「電話帳引き裂きマジック」の真似事

テレビなどで、怪力の持ち主が分厚い電話帳を真っ二つに引き裂くパフォーマンスを目にした子どもたちが、それを真似しようとするのも「あるある」でした。

しかし実際には、分厚い電話帳を素手で引き裂くのは並大抵のことではありません。子どもが力いっぱい引っ張っても、電話帳はびくともしないか、せいぜい数ページがよれる程度。「全然破けない」と悔しがりながら、それでも何度も挑戦した経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。プロのパフォーマーが見せる引き裂き技には、紙の繊維方向を利用したコツや握力・技術が必要であり、誰にでも簡単にできるものではなかったのです。

落書きや切り抜きの素材として

毎年大量に届く電話帳は、子どもにとって「いくらでも使っていい紙」でもありました。古くなった電話帳のページに落書きをしたり、工作の素材として切り抜いたり、ちぎって遊んだりと、紙としての電話帳が子どもの遊びに活用されることもありました。

大量にあって遠慮なく使える紙という性質が、電話帳を子どもの自由な遊びの素材にしていたのです。


第4章 電話帳が果たしていた社会的役割

インターネット以前の「検索エンジン」

現代では、店や企業を探したいとき、人の連絡先を知りたいとき、インターネットで検索すれば瞬時に情報が得られます。しかしインターネットが存在しなかった昭和の時代、その役割を担っていたのが電話帳でした。

「近所の水道屋さんを探したい」「あの店の電話番号を知りたい」「引っ越してきた人の連絡先を確認したい」──そうしたとき、人々は分厚い電話帳を開いて目当ての情報を探しました。職業別に整理されたタウンページは、まさに現代の検索エンジンや地図アプリのような役割を果たしていたのです。

緊急時・生活の必需品としての電話帳

電話帳は日常生活の必需品でした。急に修理業者が必要になったとき、出前を頼みたいとき、役所や病院の連絡先を調べたいとき──電話の近くに置かれた電話帳は、生活のあらゆる場面で頼りにされる存在でした。

多くの家庭では、電話機の近くに最新の電話帳を常備し、必要なときにすぐ開けるようにしていました。電話帳は単なる本ではなく、家庭のインフラの一部として機能していたのです。

公共図書館にも置かれた地域の記録

ハローページは公立図書館にも所蔵されており、図書館内での閲覧が可能でした。地域の人々や企業の連絡先を網羅した電話帳は、その地域の記録としての側面も持っていました。

五十音順にただ名前と番号が並んでいるだけのハローページは、創作性がないため著作権がないものとされ、さまざまなメーカーがそのデータをCD-ROMなどのデータベースとして利用できるようにしたものを市販していたという歴史もあります。


第5章 分厚い電話帳が姿を消した理由とその後

携帯電話・インターネットの普及

分厚い電話帳が家庭から姿を消していった最大の理由は、携帯電話とインターネットの普及です。携帯電話に連絡先を登録できるようになり、インターネットで店や企業の情報を検索できるようになると、紙の電話帳を開く機会は急速に減っていきました。

それに伴って電話帳への掲載を希望する人も減り、特に個人情報保護への意識の高まりから、個人名を電話帳に載せることに抵抗を感じる人が増えていきました。ハローページの個人名編は、2011年発行分以降は希望者にのみ配布されるようになっていました。

ハローページの廃止

NTT東日本とNTT西日本は2020年6月、五十音別電話帳「ハローページ」の発行・配布を終了すると発表しました。全国の各地域ごとに2021年10月から2023年2月にかけて発行された最終版をもって、個人名を載せた電話帳は約130年以上の歴史に幕を閉じました。

日本で最初に個人の番号を載せた電話帳は、1890年(明治23年)の「電話加入者人名表」にさかのぼります。明治から令和まで続いた個人名電話帳の歴史が、ここで終わりを迎えたのです。

タウンページも廃止へ

職業別電話帳のタウンページは、ハローページ廃止後もしばらく発行が続けられていました。しかしこちらも利用者の減少が進み、NTT東日本とNTT西日本は2024年7月、2026年3月発行分をもって紙のタウンページを廃止し、インターネット版の「iタウンページ」に全面移行することを発表しました。

これにより、昭和の家庭に毎年届けられていた分厚い紙の電話帳は、すべてその役割を終えることになります。130年以上にわたって人々の生活を支えてきた紙の電話帳の時代が、完全に幕を下ろすのです。


まとめ──鈍器のような電話帳が支えた昭和の暮らし

毎年届けられる鈍器のような分厚さの電話帳。座布団代わりにしたり、引き裂きマジックに挑戦して失敗したり──子どもにとっては遊び道具でもあったあの電話帳は、インターネットも携帯電話もなかった時代に、人や店の連絡先を調べるための欠かせない情報インフラでした。

ハローページとタウンページという名称が生まれたのも昭和後期のことであり、青い表紙と緑の表紙の分厚い冊子は、長く日本の家庭の電話のそばに置かれ続けました。そして携帯電話とインターネットの普及により、その役割を終え、130年以上の歴史に幕を下ろしました。

ページをめくるあの薄い紙の感触、ずっしりとした重み、びっしりと並んだ細かい文字──分厚い電話帳の記憶は、昭和という時代の暮らしの風景とともに、多くの方の心の中に今でも残り続けているのではないでしょうか。


本記事は昭和の電話帳文化に関する歴史的・文化的記録を目的としています。記載の情報は執筆時点での各種資料・報道に基づくものです。


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